経営者の頑張りを引き出す報酬設計|【連載コラム】日本企業の経営者報酬は、どう決まっているのか!?(第1回)
1. より詳細な開示が求められる経営者報酬
ここ最近、経営者報酬(役員報酬)に関する開示制度が大きく変わったことを知っていますか? ここ5年ほどの間に、上場企業等は経営者報酬の決定方針を定め、それを有価証券報告書の「役員の報酬等」で開示することが求められるようになりました。
(1) 詳細な開示をしない企業の理由とは
企業の開示内容を見てみると内容はさまざまで、「開示が詳細ではない企業」もいます。なぜ詳細に開示しないのでしょう? 理由は大きく2つ考えられます。1つは、開示すると他社との競争が不利になるなどの理由で「あえて詳細を開示しない」ケースです。もう1つは、金額をなんとなく決定しているので「開示できる情報がない」ケースです。後者の企業は、自社に望ましい経営者報酬の決定方針を考える必要があります。
(2) 経営者報酬の決定方針を変更する企業も
また、経営者報酬の決定方針が具体的に定まっている企業も、状況が変われば、現在の方針が自社にとって望ましくなくなる可能性はあります。実際に、株式会社日立製作所(以下、日立)は従来、「固定給」「短期インセンティブ報酬」「長期インセンティブ報酬」の比率が1:1:1だった報酬体系を、2022年3月期決算で大きく変更しています。こうした企業にとっても、自社の方針をどのように変更すればよいかを知ることは重要です。
2. 「答えの出ない問い」に対する解決の糸口
では、企業にとって望ましい経営者報酬の決定方針とはどのようなものなのでしょうか? 残念ながら、この問いに対する画一的な答えはありません。なぜなら、その答えは、企業規模、事業の成長性、他社動向、報酬に関わるさまざまな法律や制度など、その企業を取り巻く多面的な要因で決定するからです。
しかし、理論や他社事例を知り、自社の現状と照らし合わせることで、現時点での答えを見つけることはできるかもしれません。私たちは、このような「答えの定まらない問題」を解決する上での糸口となることを目指して研究を進め、その成果として『経営者報酬の理論と実証』を2024年11月に中央経済社から出版します。
この本では、会計学とその関連領域で行われてきた研究が示す経営者報酬についての理論と、日本企業の現状を示す実態調査や統計分析の結果について記しています。
本連載コラムでは3回に分けて、『経営者報酬の理論と実証』のエッセンスを紹介します。第1回目は、経営者報酬の実態調査についてです。
3. 効果的なインセンティブ設計とは
経営者報酬の決定方針を定めるうえで、何に気をつければよいのでしょうか? いくつかありますが、その1つがインセンティブです。すなわち、経営者が企業の業績に貢献するほど、多くの経営者報酬が支払われる仕組みになっているかどうかです。実際に多くの企業が、「企業の株価成長率」や「中長期経営計画の達成状況」と経営者報酬を連動しています。
(1) 他社と比較する相対的業績の意味とは?
いくつかの企業は、自社と他社を比較して経営者報酬を決定しています。さきほど紹介した日立も、自社と他社の株価成長率を比較して経営者報酬を決定しています。このような、他社との比較による業績評価は「相対的業績評価」と呼ばれます。これらの企業はなぜ相対的業績評価を行うのでしょう?
それは、自社を見るだけでは、経営者が企業業績に「どれだけ貢献したか」を把握できないからです。景気が良ければ経営者がさほど頑張らなくても、企業の業績は高くなるでしょう。もし、他社の株価が10%成長しているなかで自社の株価が50%成長していれば、経営者は自社の株価成長に大きく貢献したと言えそうです。一方で、他社の株価が50%成長しているなかで自社の株価が10%しか成長していなければ、経営者は自社の株価成長に貢献したとは言えないでしょう。このように、相対的業績評価によって経営者報酬を決定すると、より効果的なインセンティブが実現できそうです。
『経営者報酬の理論と実証』の「第4章:日本企業の経営者報酬決定における相対的業績評価の利用実態」では、日本企業の経営者報酬の決定において、相対的業績評価を実施している企業がどの程度いるかや、パーソルホールディングス株式会社や三菱マテリアル株式会社といった相対的業績評価を実施している企業がどのように相対的業績評価を実施しているかをまとめています。興味を持った方は本書を手に取ってみてください。
(2) 不適切な経営にペナルティを課す企業も・・・
「マルス条項」や「クローバック条項」という用語を聞いたことはありますか? これは、不正会計や品質不正のような、経営者の不適切な行動に対する「ペナルティ」です。ペナルティは、良い行動を引き出すのではなく、良くない行動を防ぐという意味で「負のインセンティブ」とも呼ばれます。マルス条項は報酬を「減額する」というペナルティで、クローバック条項は報酬を「返還させる」というペナルティです。両者を「マルス・クローバック条項」とまとめる場合も多く、多くの企業で導入が進んでいます。
「マルス・クローバック条項」の適応事例にENEOSホールディングス(以下、ENEOS)があります。ENEOSでは、役員らが懇親会で女性に不適切な発言やセクハラ行為をしたことが問題視され、月額報酬・賞与・株式報酬の一部返還と没収という処分が降りました。ENEOSのケースは、不正会計や品質不正を行なったわけではありませんが、重大なコンプライアンス上の問題が発覚したためマルス・クローバック条項が適応されました。
『経営者報酬の理論と実証』の「第6章:経営者報酬の没収-日本企業でのクローバック条項の事例-」では、日本企業でのクローバック条項の導入実態について調査をしています。また、アメリカ企業や海外でのクローバック研究についても、「導入の効果」などに焦点を当てて参照しています。興味を持たれた方は本書を手に取ってみてください。
(3) ESGやSDGsと経営者報酬を結びつける企業も・・・
近年ではESGやSDGsと経営者報酬を連動する企業も増えています。これは、企業は自社の利益のみを追求するのではなく、持続的な社会の実現に対しても貢献すべきである、という考えに基づいています。また、企業が持続的な社会の実現に対して貢献することは、長期的に見れば企業の利益に結びつくかもしれません。
既に述べた日立でも、サステナビリティ目標の達成状況により長期インセンティブ報酬が支払われることになっています。『経営者報酬の理論と実証』の「第5章:日本企業での非財務指標の利用例」では、日本企業での非財務指標の導入事例について紹介しています。
(4) 中小企業の経営者報酬はどうなっている?
本書では、中小企業の経営者報酬の実態についても調査しています(第7章)。中小企業の経営者報酬は、大企業以上にわかっていないことが多くあります。本書では、インタビュー調査に基づいて中小企業の経営者報酬決定の実際について調査しました。基本的に本書は、制度改正に対応しないといけない大企業向けですが、中小企業経営を考えるうえでも役立つ実務が提供されています。
4. 改めて、本書や理論が果たす意義は?
(1) 企業の開示内容はブラッシュアップされてきている
今回は、『経営者報酬の理論と実証』で行なった実態調査の一部を紹介しました。本コラムでは紹介していませんが、ここ数年間の開示情報を見比べると、多くの企業で経営者報酬の決定方針に関する記述内容が改善されています。これは、多くの企業が、他社の開示内容を真似たりコンサルティングを受けることで、自社の記述をブラッシュアップしたからかもしれません。
(2) 改めて、本書や理論が果たす意義は?
しかし、状況が変われば、企業にとって望ましい経営者報酬の決定方針も変化します。現時点で良い方針が、数年後も良いとは限らないということです。また、他社が開示している「良さげな」経営者報酬の決定方針が自社にとって良いとは限りません。他社の事例を知り、その事例を自社に適切な形に落とし込むには、理論と実証の両面から経営者報酬の制度設計を考えることが重要です。
次回(第2回)は、『経営者報酬の理論と実証』で行なった統計的な分析に関する内容を紹介します。
[Profile]
早川 翔(はやかわ・しょう)
流通科学大学商学部 准教授
2017年3月神戸大学大学院経営学研究科にて博士(経営学)取得。
主な著書に『実務に活かす 管理会計のエビデンス』(共著、中央経済社)など。
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