量子コンピュータと行動経済学の成果|【連載】行政書士DX:自由と規制の問題(第5回・完)
1 総論
量子コンピュータは、現在の汎用技術たる古典コンピュータに比べて、飛躍的な処理能力を有すことで低消費電力となるなど、脱物質化イノベーションの特徴を持ちます。このため、量子コンピュータの開発企業が株式上場を果たすなど、研究には莫大な資金が投じられ、わが国企業を含め、民間企業の競争が激しくなっているといわれています。
量子コンピュータの活用・開発について、具体的には現在、検索アルゴリズムの改良、大規模信号機システムの制御の向上、自動車材料の最適化、金融暗号に必要な剰余加算での量子ゲートの減数などへの応用を挙げることができます。
2 量子コンピュータとは何か
量子コンピュータを定義すると次のようになるでしょう。
すなわち、これまでのコンピュータは、0か1からなり、解を一つひとつ探索する必要がありましたが、量子コンピュータは、「0か1」または「0かつ1」からなり、並列計算が可能で、解を一つひとつではなく同時に探索できるのです(ジョナサン・ルアン、アンドリュー・マカフィー、ウィリアムD.オリバー著/山口桐子訳『量子コンピューティングの現在と未来』(ダイヤモンド社、2023年)。
スーパーコンピュータで処理に数千年かかる問題を超高速の短時間で解決できるといわれています。
3 経営者が理解しておくべきこと
(1) セキュリティの重要性
現在は解けることのない暗号コードも、ハッキングにより、量子コンピュータを用いれば解けるようになるので、企業は壊滅的な打撃を受けることも考えられます。そのため、セキュリティ・インフラの大規模なアップグレードが必要です。
(2) アルゴリズムに関わるビジネスチャンスを逃さない
こちらは建設的な話です。量子コンピュータのアルゴリズムのなかで、ビジネスに適用できそうなものは、線形システムアルゴリズム、最適化アルゴリズムなど5種類あるといわれます。
アルゴリズムの理解、例えば線形システムアルゴリズムを理解しておけばAIによるおすすめ機能の進歩、最適化アルゴリズムを理解しておけば金融システムリスクを最小化するビジネスの高度化など、ビジネスチャンスのシーズの予測を立てられるようになります。
(3) 量子コンピュータが経済へ与える影響
ネットワーク経済で遠のいていた「規模の利益」が、再び前面に出てきます。というのも、量子コンピュータは、ハードディスクすなわち供給サイドの事象であり、当面は大規模投資が必要になることから、「規模の利益」が前面に出てくることになると考えられるからです。
例えば、量子コンピュータのクラウド・サービスをすでに提供しているアマゾン・ウェブ・サービス(AWS)を見ればわかるように、大規模なコンピュータをベースとしたクラウド・サービスとしてサービス提供の費用逓減を実現しているところです。また、ネットワーク間の競争が激しくなり、「ネットワーク外部性」がより働くようになると考えられます(ネットワーク経済・規模の利益・ネットワーク外部性については第4回参照)。
4 量子コンピュータをめぐる自由と規制の問題
(1) 量子コンピュータへの規制
人体・産業などさまざまな分野に影響が及ぶため、緻密な規制が必要とされることもあるでしょう。量子コンピューティングによって、素粒子レベルの実用的解析が可能になるといわれていることから、例えば遺伝子組み換えにおける倫理的観点からの規制などが参考になります。
(2) 量子コンピュータを取り巻く技術に対する規制
経営者・規制当局は、量子コンピュータにまつわる技術もイノベーションであることを忘れてはなりません。そのため、イノベーションの指数関数的増加(爆発的増加)に注意しておかなければなりません。気づいたときには、セキュリティが破られたり、敵対者への転用などでイノベーションおよび企業経営が壊滅的な打撃を受けたりすることが考えられます。
そのため、量子コンピュータを取り巻く技術に対するセキュリティ規制や輸出規制などの安全保障規制のあり方を議論すべき時が来ていると確信しています。
5 行政書士DXと量子コンピュータ
量子コンピュータの最も困難な問題の一つは、量子ビットがあまり長く保持されないことです。振動や温度などの環境要因によって量子力学的な性質が失われ、エラーが発生するのです。
そのため、こうしたエラーの研究にあたって、抵触する規制または上述のような量子コンピュータ規制があれば、サンドボックス制度を用いて実証する価値があるのではないでしょうか。サンドボックス制度とは、新技術に抵触する規制があるとき、申請により行政の判断で新技術の実証を許す制度です。
サンドボックス制度適用の申請を、行政書士が、DX化したシステムで行うことで、より強い実証に向けた素地を提供することができます。申請には、規制に関する深い理解が必要であるため、行政書士こそ、企業と行政庁の間で申請データ加工を行う存在として最適であるといえるでしょう。
6 行動経済学の成果とAIの融合
心理学と融合した経済学である行動経済学の成果は、ランダム化比較試験などにより生じます。ランダム化比較試験とは、要因と結果の因果関係を無作為抽出により導き出そうとするものです。無作為抽出であるため、バイアスがかからない客観的な結果の評価が可能になります。因果関係を導き出せることから、理由付けを必要とする非定型的領域の事象でも説明できることになります。
この行動経済学の成果をAIに学習させ、経営判断や政策判断に応用するということが、すでに起こっていることをご存じでしょうか。つまり、「AIが因果関係を伴う判断をすることができない」という言説は、すでに過去のものとなりつつあるのです。これは、行動経済学の成果のおかげでしょう。
AIが非定型的領域で活躍している例として、富士通の「デジタルリハーサル技術」を挙げることができます。簡単にいえば、行動経済学で解明されている非合理的な行動特性をもつ個人の判断などをAIに学習させ、データを仮想空間上で再現する技術であるデジタルツイン上において、人の行動の変化を事前に把握できるというものです。
経営判断や政策判断といった因果関係の検討が必要な人の仕事ですら自動化の可能性を秘めているのです。この点は、特筆すべき事柄でしょう。
データに基づくことの大切さを基礎に、着実にイノベーションを進めていかなければなりません。
バックナンバー
第1回 なぜ行政書士はDXをしないのか
第2回 行政書士DXによる業務の変容
第3回 行政書士DXとAI
第4回 行政書士DXと「自由と規制の問題」
著者略歴
林 哲広(はやし・あきひろ)
行政書士林哲広事務所 代表
九州大学大学院修了(経済工学)、国家公務員Ⅰ種試験経済職合格。
デジタル関係、規制、AIの研究を続け、行政書士ひいては士業業務のこれからの展開に関心を寄せている。
著書に、『改訂版 知財関連補助金業務の知識と実務-補助金・助成金を活かした知財経営-』(経済産業調査会、2022年1月)、『知的財産権の管理マニュアル』(追録)(第一法規、2022年12月)がある。