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研究書の執筆、出版を通じた学び、内面の変化|今、研究者が書籍を出版する意義とは? 経営学系若手研究者による研究書の出版に関する研究会レポート①

2023年3月6日14時〜17時に、京都大学吉田キャンパス・オンラインにて「経営学系若手研究者による研究書の出版に関する研究会」が開催されました。研究書の執筆や出版についての包括的な知識を共有するために、「研究書にまつわるエトセトラを大いに語る場」として実施された研究会です。
主催の木川大輔先生(明治学院大学)によれば、当初は10名程度の小規模な会を想定して企画したものの、申込者は100名以上におよび、その全員が、木川先生と中園宏幸先生(広島修道大学)のツイートによる告知のみで集まったそうで、非常に大きな関心を呼ぶテーマであることがうかがえます。

本研究会は、2つのテーマごとにセクションが設けられました。

テーマ1 研究書の執筆、出版を通じた学び、内面の変化
 発 表:研究書の執筆、出版を通じた学び、内面の変化
 座談会:ごく最近研究書を出版された、または出版予定の若手研究者による座談会
テーマ2 研究者コミュニティを超えた社会との架け橋としての著書
 座談会:研究者コミュニティを超えた社会との架け橋としての著書

この連載では、研究会の様子を3回にわけて紹介していきます。第1回は、テーマ1「研究書の執筆、出版を通じた学び、内面の変化」より、4名の研究者による発表を記録したものです。

※登壇者の所属は、すべて2023年4月時点のものです。

中原翔(大阪産業大学)
社会問題化する組織不祥事―構築主義と調査可能性の行方』(中央経済社)

このたび、博士論文をもとに『社会問題化する組織不祥事―構築主義と調査可能性の行方』(中央経済社)を出版しました。

組織不祥事を客観的な状態として捉えるのではなく、不祥事化する人たちとその不祥事を防ごうとする人たちの対立を、ある種の政治的なものとして捉えるという問題意識で執筆しています。かつ、その政治的な対立、あるいはその政治性に対して、研究者自身も身をもって加わるというプロセスを描いています。
全3部・10章構成の学術書ではありますが、平易な書きぶりを意識しました。

中原翔(大阪産業大学)
社会問題化する組織不祥事―構築主義と調査可能性の行方』(中央経済社)

■出版の経緯

私は、神戸大学大学院経営学研究科の出身でして、2016年3月に博士論文を提出しました。博論の提出で、組織不祥事の研究は自分のなかでひと段落したという思いがあり、それから組織不正の研究に取り組みました。
その頃、ひたすら書いていた「経営管理論」の講義ノートを出版したい旨をツイートしたところ、服部泰宏先生(神戸大学大学院経営学研究科)からいくつか出版社を紹介いただいて、そのうちの中央経済社から出版することが決まりました。
出版社へアプローチしたきっかけは、講義ノートをまとめて教科書にしたいというものでした。ただし、中央経済社様はガバナンスや会計分野に強い出版社なので、これまで研究してきた組織不祥事をテーマに書籍化するための構想を練り始めました。
博士論文を修正し、原稿が完成した段階で、学内の出版助成制度に応募し、無事助成金を得ることができました。なお、これから出版される先生方は、すでに公表した論文を書籍に収録する際、投稿先によっては二次利用についてのルールがあらかじめ決められている場合がありますので、お気を付けください。
原稿提出後、校正などさまざまな作業がスケジュール通りに進みましたが、企画書の提出から出版までは、大体1年4ヶ月かかりました。企画書を提出した段階で原稿が完成していない場合は、もっと時間がかかるだろうと思います。
原稿の執筆は、自分との闘いです。しかし、いったん原稿を提出したあと、たとえば装丁(カバーデザイン)など、書籍化のプロセスの中では出版社におんぶに抱っこな場面がいくつもありました。中央経済社様には、大変感謝するとともに、御礼申し上げたいと思っております。

注:「講義ノート」は『経営管理論 —講義草稿』(千倉書房)として、2023年5月に刊行される予定です。

■組織不祥事の本質を見るために

本書では、組織不祥事に関する調査を2社で実施したうえで、それらを比較しています。このような研究書は、あまりないと思います。その意味で、本書の資料価値が高いのではと自負しています。
また、帯文にもあるように「関係者の利害によって不祥事は作られる」という点に焦点を当てているところが、本書のポイントです。
これまで、組織不祥事の原因は、個人の“意図”に帰属される部分が多いと言われていましたが、本書では、その背後にある組織内外の利害関係に目を向けています。Twitterでもこの帯文に注目して、「面白そう」と言ってくれている方がいました。
それから、不祥事化しようとする人と、それを防ごうとする人の対立に注目したという点とその対立を政治的対立として捉え直し、そこに研究者自身も入り込んで調査した点も、ほかにない特色だと思います。是非ご笑覧いただければありがたいと思います。

田原慎介(公立諏訪東京理科大学)
介護組織の共感ネットワーク―イノベーションの定着メカニズム』(中央経済社)

今日は、木川先生から、仲間うちのリラックスした会だと聞いていたもので、ジャケットさえも持ってきていません(笑)。申し訳ないなっていう気持ちがありますが、よろしくお願いします。
2022年の3月に『介護組織の共感ネットワーク―イノベーションの定着メカニズム』(中央経済社)を出版しました。

イノベーションや、新しいサービスは、どちらかといえば、クリエイト(創出)や普及の議論が多いのですが、僕は、イノベーションなどの新しいサービスを採用した組織が、そのサービス等を長く使い続けないと、そもそも社会に対してインパクトがないのでは、という問題提起をしています。

田原慎介(公立諏訪東京理科大学)
介護組織の共感ネットワーク―イノベーションの定着メカニズム』(中央経済社)

■出版の経緯

博士論文の執筆が終わったのが、2021年3月で、その数ヶ月後に出版に向けた作業に着手しました。中原先生とはちょっと違う流れだと思います。若手の皆さんにとっては、出版のタイミングはポイントになると思いますので、他の発表者とも比較してもらうとよいと思います。
2021年3月末に博士号を取った時点で、本にしたいという気持ちは強くありました。指導教員が、若林直樹先生(京都大学大学院経済学研究科)でして、博士論文が終わる直前に本を出したいと伝えたところ、テーマの鮮度を保つため出版まで時間をかけないほうがよいと助言をいただきました。そこで、一度お会いしたことのあった中央経済社の編集者・酒井さんに、若林先生からコンタクトを取っていただき、出版へ向けてのやりとりが始まったという流れです。
最も頭を抱えたのは、出版助成です。僕が今所属している大学は理系の公立大学で、理系の場合は、本を書くことよりも英語の論文を書くことのほうが遥かに重要とされているので、学内に出版助成制度がありません。そのため、学外の出版助成について調べました。最終的に、僕が応募したのは、「日本証券奨学財団」の1つのみでした。科研費の助成も狙うべきか編集者に相談したのですが、さまざまな事情を考慮し、応募はしませんでした。結果、日本証券奨学財団に採択されました。
そのくらいの段階で、博士論文の修正を進めておく必要があるわけですが、出版助成に応募する前までは一生懸命改善に取り組めたものの、応募後は、そこからどう転ぶのかわからず、やる気が出ませんでした。ブラッシュアップしたい意欲はあるけれど、手が動かない、頭も働かない。そういう状況でようやく採択されたので、8月ぐらいに編集者と再度打ち合わせを行いました。
日本証券奨学財団の出版助成を利用する場合は、年度内に本を出す必要があったので、遅くとも2022年3月末日までに出版するためのスケジュールを確認しました。コロナ禍だと、人手の問題もあり、普段よりさらに2〜3ヶ月余裕を見たほうがよいということで、2021年の10月上旬(期限の6ヶ月強前)には完成原稿を出版社へ提出する必要がありました。
無事に提出して、初校が出てくるのに、大体1ヶ月半。で、ここからが忙しかったですね。何にバタバタするかというと、装丁(表紙のデザイン)や書名、そして価格の決定です。価格は、3,000円台におさえたいと打ち合わせをしていたものの、結局、税込みにすると4,000円超えることになり、売れ行きが厳しくなるかなと心配でした。価格と連動するのが発行部数です。これから出版を考えている方は、部数や価格についても、頭に入れておくとよいと思います。

■力を入れた5つのこと

僕はそこまで学術的な本を書いたわけではないので、他の先生方とは少し違う点になりますが、特に力を入れたことは5つありました。

  1. 出版助成を獲得すること

  2. 編集者との関係

  3. 本当に読んでもらえる本なのか、自問自答を繰り返すこと

  4. "まえがき"と"あとがき"

  5. 書名

1つ目は、出版助成の獲得です。これによって、出版社の対応も変わってくるだろうと思います。僕は100万円の助成金を受けました。大学の助成金は、150万円くらいもらえるところもあると聞きます。ただ、金額よりも、採択されたということ自体が重要だと考えて、それに全力を尽くしました。
2つ目は、編集者との関係です。編集者の酒井さんとは、今でも時々飲みに行くような仲になりました。僕は今回が初めての出版ですから、偉そうなことは言えませんが、編集者ときちんとコンタクトを取ること、信頼関係を築くことは大事だと思っています。
3つ目、これは特に悩んだ点なのですが、博士論文が終わってからすぐ出版に着手できたことで、本当にこの内容でよいのか悩むことになりました。読んでもらえる内容になっているのか、もっと時間をかけてブラッシュアップすべきなのでは、などと考えてしまいました。ただ、長い時間をかけたとしても、同じことになったと思います。ですから結果的には、早く出版に向けて動き出してよかったと思っています。
そして、そこら辺を「あとがき」で振り返りました。僕の場合は、「まえがき」と「あとがき」の両方を書きましたが、「あとがき」での謝辞を重視しました。出版するまでに、本当に色んな方にご指導いただきましたから、その感謝をしっかりと書き残しました。
最後は書名、タイトルですね。これも一生懸命考えたのですが、最終的に、出来上がった本を若林先生に見せた時に、「なんだかタイトルと内容がずれているね」という、重大なご指摘をいただきました(笑)。内容とタイトルの整合性は重要だと思います。皆さんも、書籍をご覧いただいて感じるところあると思いますので、ぜひ教えていただければと思います。

注:「書名と内容のずれ」に関しては、その詳細をテーマ1の座談会セクションで説明されています。

園田薫(日本学術振興会・法政大学)
外国人雇用の産業社会学 — 雇用関係のなかの「同床異夢」』(有斐閣)

はじめまして。本日、おそらくほとんどの方と初めてお会いするので、最初にちょっと長めに自己紹介をします。
この3月に『外国人雇用の産業社会学 — 雇用関係のなかの「同床異夢」』(有斐閣)を出版する、法政大学の園田薫と申します。

園田薫(日本学術振興会・法政大学)
外国人雇用の産業社会学 — 雇用関係のなかの「同床異夢」』(有斐閣)

初めてお会いする方が多いのは、僕が社会学から来ているからです。
東京大学人文社会系研究科で社会学を学んできまして、2021年に博士号を取得しました。梅崎修先生(法政大学キャリアデザイン学部)のもとで、学振PDをしております。
さて、こうした場で自分が何を専門としているのか説明する場合に、指導教官を言えば大体伝わるものだと思いますが、僕の場合は指導教官の名前を言うと、逆に何やっているかわからなくなるんですよね。
僕の指導教官は、ジェンダー・セクシュアリティ・構築主義を専門にしている赤川学先生(東京大学大学院人文社会系研究科)です。僕自身は、昔からずっと企業を研究したいと思っていたので、指導教官の関心とは裏腹に、組織論を独学し、企業研究の道を進んでいます。独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)で働きながら、労働調査って何だろうということを学んでいまして、書籍のタイトルにもあるとおり、産業社会学が専門だと自負しています。
産業社会学という学問領域は、その創始者ともいえる尾高邦雄先生の弟子が富永健一先生で、その弟子が、田原さんの師匠である若林直樹先生、という具合につながるのかなと思います。ただ、その系譜はあるけど、研究それ自体っていうのは、今ではほぼ存在しないと言ってよい状態です。講座の名前しか残っていないような状況で、すごくよいことをなさったのに、なんだかもったいないなという気持ちで、その啓蒙活動としまして、『21世紀の産業・労働社会学』(ナカニシヤ出版)を書きました。こちらは3人での共著です。

2023年3月末に出版する『外国人雇用の産業社会学』では、日本の有名大企業と、そこで働く「専門的外国人」との雇用関係を双方の視点から検討しています(「専門的外国人」=ホワイトカラーの外国人労働者)。
第2章「外国人を雇用する日本企業の矜持と葛藤」で企業側、第3章「日本企業で働く専門的外国人のキャリア選択」で外国人労働者側の視点を取り上げています。そして、第4章では「日本企業と外国人労働者の雇用関係はいかにして成り立つのか」、終章では「雇用関係の分析がもたらす知とは」として、より一般的に考えるという構成です。

■出版の経緯

出版社とのツテがなかったため、博士論文の概要をまとめた企画書を自分で売り込みました。Twitterでフォローしているとか、そういうレベルのつながりで、こんな研究しているのですがどうですか、と編集者へ声をかけていきました。
3社と交渉し、2021年9月に有斐閣で進めることが決定しました。その後の打ち合わせで、出版助成を得て進めることが決まり、1年かけて執筆しながら、2022年に東京大学と日本証券奨学財団の出版助成に応募しました。PDの身分なので、学内ではなく外部から取ってくる必要があったわけです。結果、後者で助成金を受けることができたので、2023年3月末刊行に向けて出版社とやりとりしてきました。

■書籍出版が持つ3つの機能

ここからは、なぜ有斐閣に決めたのか、そして、単著をどのように出版したいと考えたのか、お話ししたいと思いますが、せっかくの場ですので、僕が思う書籍出版がもつ3つの機能からご説明したいと思います。
本を出す行為には、3つの機能があると考えています。

  1. 公共性:パブリック・アーカイブとしての本
    =出すことに意味がある本

  2. 社会的重要性:開かれた読者との共有物としての本
    =読まれることに意味がある本

  3. 表現性:自由な自己表現の場としての本
    =書くことに意味がある本

これらの要素はそれぞれ関連しているとは思いますが、違った要素であるとも思っています。僕がお話しした出版社は、3社それぞれでスタンスが異なりました。

  1. 公共性にかかわる問題系:公表の「媒体」
    → なぜ博士論文のオンライン公表ではダメなのか?

  2. 社会的重要性にかかわる問題系:読者の「対象」
    → 誰に向けて本を書くのか?(即時性・大衆性の問題)

  3. 表現性にかかわる問題系:執筆の「内容」
    → なぜ投稿論文ではなく、書籍として執筆するのか?

出版社Aは、公表すること自体を重視し、論文の価値が損なわれないうちに、媒体を問わずすぐにでも出そうということでした。また、出版社Bは、事実レベルで面白い調査をしているのだから、理論的なレベルを省いて読者対象を拡げようというスタンスで、A社B社どちらも、即時性や大衆性を意識されていると感じました。
一方で有斐閣は、表現性にこだわってくれていました。なぜ論文ではなく書籍にするのかを考える、つまり、本でしか出せないことを書こうよ、というこだわりです。
有斐閣の協力もあり、本書は、論文では削ぎ落とされる「豊かな雑味」を盛り込み、社会学のディシプリンを超えて、経営学の読者を意識して制作できたと思っています。

■論文にはない「豊かな雑味」を盛り込んだ一冊

企業の分析
外国人を採用する企業を対象に研究する場合、どのように調査をしたらよいでしょうか。たとえば、外国人雇用をしている企業の従業員に話を聞きにいったとして、その従業員はどこまで組織との同一性があるのかという問題が生じます。組織のなかに埋没していく状況もあれば、個として組織とは異なる状況も、同時に起こりうるわけです。つまり、同一性がある部分とない部分の両方が存在します。
ではこれをどう扱ったらよいのか、みたいなことは、やはり論文にするには難しいですが、書籍であれば、削ぎ落とすことなく記述できました。
次に、企業の意図はどのように調査可能であり、認識可能なのかという問題があります。本書では、経営層の語りを質的に分析して、それが組織の語りなのか個人の語りなのか、どういう風にそれを切り分けられるのか、といったことを検討しています。

外国人の分析
外国人労働者を対象とした調査において、日本企業と外国人という関係をみると、必ず次のような話題が出てきます。

「日本企業の慣行は独特で外国人に合わない」
「日本企業はオワコンだから人が集まらない」
「有能な外国人が日本企業で働くわけない」

部分的には事実といえますが、それが全てではないです。なぜそういう現実の側面が顕著に出てくるのか、インタビュー等で調査しています。

■理論的な射程

企業と外国人の調査を本にまとめるためには、理論的なフレームワークが重要だと考えました。雇用関係というものを、理論的にフレーミングするために、シンボリック相互作用論という社会学の視座を援用しています。

たとえば、組織の視点からはどんな話を伝えるのか、労働者側からはどう伝えるだろうか、ここをみるために、第2章ではカール・E・ワイク、そしてチェスター・バーナードの個人人格・組織人格論を取り上げています。ワイクの名前を出すと、経営学の会ではざわっとすると聞いたことがあるので、意図的に書いてみました(笑)。また、労働者側の分析でいうと、エドガー・H・シャインの流れや、組織における心理的契約という点でデニス・M・ルソーまで広げています。このように取り組んできたなかで、分析においては、行為者の「理解」が非常に重要だと考えています。
本書には、以上のような特徴を盛り込んでいます。

舟津昌平(京都産業大学)
制度複雑性のマネジメント: 論理の錯綜と組織の対応』(白桃書房)

制度複雑性のマネジメント: 論理の錯綜と組織の対応』(白桃書房)という書籍を2023年3月に出版します。
本書は、京都産業大学の学内助成を受けて出版しています。それなりの額をいただいたので、「市販性のある本には助成が出ないことがある」というロジックでいうと、非常に「市販性のない本」ということになるのではないかと考えています(笑)。

舟津昌平(京都産業大学)
制度複雑性のマネジメント: 論理の錯綜と組織の対応』(白桃書房)

同僚の先生に本書の話をしたところ「売れなさそうなタイトルだね」とコメントがあったくらいです。そうなのだろうけれども、やはり売れたほうが絶対よいので、皆さん買ってください。税込3,100円で、比較的お求めやすい価格です。何なら今日買って帰ってください。よろしくお願いいたします。
先ほど田原さんから価格の話があったように、やはり原稿の分量(本の総ページ数)と価格は直結してきます。分量をある程度コントロールしないと容易に買えない価格の本になるということは、田原さんから教えていただきました。今出版を考えている方々も、こういった細かい知識も知っていただいて、出版活動に活かしてもらえればと思います。
ここで、実はもう1冊本がでるのでご紹介します。『組織変革論』(中央経済社)というタイトルで、面白いと思うので、こちらもぜひ買ってください。

■制度論に興味がある方へ

さて『制度複雑性のマネジメント』は、簡単にまとめると、複数の制度ロジックがうみだす制度複雑性に対して、協働する組織がどのように対応し、組織間連携(においてめざされる成果)を達成するのかについて、オープン・イノベーションの文脈における科学と事業の関係に注目して論じた本です。簡単ではないですね。
キーワードとしては、新制度派組織理論(制度論)、制度ロジック、制度複雑性、定性研究、事例研究、科学と事業の関係、イノベーション・マネジメント、産学連携、協働R&Dなどです。…と挙げてはみましたが、まあ、意味がわからないですよね。これだけ聞いたら、この本、誰も買わへんやろって思いますが(笑)。
もし、こういうテーマについてより詳しく知りたい方がいらっしゃいましたら、涌田幸宏先生のレビュー論文「新制度派組織論の意義と課題」(三田商学研究, 58(2), 227-237, 2015)が非常にまとまっているので、まずこれを読んでください。

そして、制度論に興味がある方は、今日のテーマ2の座談会で登壇される高橋勅徳先生の『婚活戦略』(中央経済社)を読んでください。制度という言葉を使わずに、制度論の考察をしている素晴らしい本です。

制度論でいえば、ディマジオ=パウエルの同型化でしょ、とパッと思いつく方には、淺羽茂先生の『日本企業の競争原理』(東洋経済新報社)をおすすめします。

これは制度論の本ではないですが、なぜ企業が同質的になるかということをかなり早い段階でしかも包括的に論じている本です。要するに、制度論といえばディマジオ=パウエル(”The iron cage revisited: Institutional isomorphism and collective rationality in organizational fields.” American Sociological Review, 48(2), 147-160, 1983)で、そこから研究が進んでいないから何も知らなくてよいというのは誤解であり、こういった制度論内外の業績から勉強できることはディマジオ=パウエル以降もたくさんあると思います。

■指導教員との関係性

私は今、京都産業大学に在籍しています。京都産業大学のキャンパスは、鹿がいる非常に自然豊かなところで、2023年春の組織学会(研究発表大会)は6月24日・25日に、京都産業大学で行われます。多くの方が申し込んでくださることを願っています。

私は、京都大学で椙山泰生先生に指導を受けました。椙山先生は、東京大学での院生時代に、著名な藤本隆宏先生から指導を受けた方です。ちなみに今日いらっしゃる経営学界の大スターである岩尾俊兵先生も藤本先生の弟子なので、岩尾先生はいわば僕の叔父さんみたいな方です。
それはさておき、ここで、知ってる人は知ってる、藤本先生と椙山先生のエピソードをお話ししたいと思います。
椙山先生が、国際ビジネス研究学会で学会賞を受賞された本(『グローバル戦略の進化』有斐閣)の謝辞には、「藤本先生から、研究のやり方を『教わった』ことはほとんどなく、論文にコメントをいただいたことすら、実はあまり多くない」と書いてあります。要するに、博士論文ベースの書籍の謝辞に、藤本先生にはあんまり研究指導されなかったと書いてあるのです。これ、東京大学界隈では当時話題になったそうです。「そんなこと書くのかよ」って。
そんななか、椙山先生は「別に事実だから」と飄々とされていて。かつ、もちろん否定的なことを書いて終わってるわけではなくて、現場主義で有名であり、熟達したフィールドワーカーでもあった藤本先生に同行するなどの経験を通じて、いわゆる典型的な研究指導以上のことを、たくさん「見て学び」、習った。そういう意味で藤本先生は素晴らしい先生だった、大事なことをたくさん学んだ、とおっしゃっているんですね。
そこで、僕はですね、やっぱり自分もこれをやらなきゃといけないなと思いまして。「先生からいただいた、真っ赤になった原稿は宝物」という文が、謝辞にはよく見られるけれども、僕の原稿が真っ赤になったことは一度もなかったと、『制度複雑性のマネジメント』に、書き残しておきました。事実として。
椙山先生は、私の提出物を一瞥して、赤が入ってもせいぜい数行。教えないんです。ここは違和感があるから直そう、と言うだけ。ただ、自分が学部生を指導する側になった今、「教えない」という指導スタイルはとても大事だなと思っています。教えない勇気が必要だとすらいえる。教えられることに慣れてしまったら、赤がいっぱい入らないと原稿が直せない身体になってしまったら、こうやって修了後に本を出すことなんてできないと思います。ちなみに著書を献本した京都大学出身のある先生から、私が受けた指導もそうでしたっていうお返事があったので、もしかすると、京都大学にはそういう文化があるのかもしれません。

■「制度ロジック」のバズワード化で出てきた「明快さに欠ける」論文

『制度複雑性のマネジメント』では、制度ロジックという概念を扱っています。
制度ロジックは、2010年代、世界的にみて経営学領域で最も研究が量産された概念のひとつです。

このグラフは積み上げではなくて各年の出版数ですから、いまだにものすごく伸びていることがわかると思います。この概念の代表的論者が書いた2008年の「制度ロジック」という論文(Thornton, Patricia & Ocasio, William. (2008). Institutional Logics. doi.org/10.4135/9781849200387)では、冒頭から制度ロジックがバズワード化していることに警鐘を鳴らしています。ただ、この論文が出された2008年より後、2009年以降も警鐘むなしくさらにバズっていきました。
バズった結果、何が起きるかっていうと、制度ロジック研究は意味がわからないと言われ始めます。ここで、去年話題となった、佐藤郁哉先生訳『経営学の危機』(白桃書房)の一節を紹介します。

「経営学系の論文の多くは、まるでマゾヒスト的な読者に対して苦痛を与えることに快感をおぼえるサディストによって書かれた代物のようにさえ思えてくることがある」
「なぜ、この要旨は、かなり狭い範囲の専門的な議論について熟知している読者にしか理解できないような文章で書かれなければならなかったのだろうか?」

デニス・トゥーリッシュ著、佐藤郁哉訳(2022)『経営学の危機』白桃書房(p. 5)

これは、制度ロジックをキーワードとして発表された、Academy of Management Journal誌掲載の論文への評価なんですね。世界のトップジャーナルに載っていても、こんな苦言を呈される。
つまり、何をお伝えしたいかというと、制度ロジックの研究が量産されるかたわら、それらはほとんどの人にとって訳がわからないもの、読めないようなものになっているということです。
ここで、最近読んですごくよいと思った文献を紹介します。著名な物理学者・ファインマンの論文の一節です。

"Speech is not precise language. The problem is clear language. The desire is to have the idea clearly communicated to the other person. It is only necessary to be precise when there is some doubt as to the meaning of a phrase, and then the precision should be put in the place where the doubt exists."
「対話において真に問題となるのは、正確な(precise)言語ではない。問題とすべきは明快な(clear)言語である。目指されるべきは、考えを相手に明快に伝えることである。正確な表現が必要なのは、フレーズの意味について何らかの疑いがあるときだけで、その場合は、疑いのある箇所に正確な言語を置けばよい。」

Feynman, R. P. (1965). New textbooks for the "new" mathematics. Engineering and Science, 28(6), 9-15.(p. 14, 和訳・強調は発表者)

この一節の主たるメッセージは、「正確であるよりも明快であるべきだ」ということです。研究論文は特に正確性を求めがちで、例えば0.1が0.1じゃなく、0.11だとか、0.111だとか、そういう正確性を競うことが求められるきらいがあります。ですが実際のところ語弊をおそれずに言えば、研究が発表されてからから正確じゃないことが検証されたって、全然遅くはないわけです。研究不正であるとか、ケアレスミスによる間違いでない限り、ある程度の査読を経て出された論文が間違っていると判明すること、それ自体が科学の進歩ですから。
また『組織科学』(白桃書房)の特集号で、島本実先生が「論文は読み通せるなら大丈夫」(島本、2019、「一般化と反省の弁証法:未来の投稿者の皆さんへ」『組織科学』52 巻 4 号,p.43
とおっしゃっていて、これは本当に金言だと思っています。明快でなければ読み通せませんよね。何を書いているかが明らかであってはじめて、正確かどうか判断できるわけです。

では、明快じゃない研究って何なんでしょうか。明快じゃない例として、制度ロジックの代表的な定義を挙げます。

「個人と組織が物質的実存を再生産および時空間を組織化する基礎となる超組織的な活動のパターンであり、同時に,その活動のカテゴリ化および意味付与の基礎となる象徴システム」

Friedland & Alford(1991), Bringing Society Back In: Symbols, Practices, and Institutional Contradictions, The New Institutionalism in Organizational Analysis . p. 232

「社会的に構築される、個々人が物質性を(再)生産し,時間と空間を組織し、また社会的現実に意味を与える,物質的実践,過程,価値,信念、規則のパターン」

Thornton & Ocasio(1999), “Institutional Logics and the Historical Contingency of Power in Organizations: Executive Succession in the Higher Education Publishing Industry, 1958– 1990. American Journal of Sociology, Vol. 105, No. 3, p. 804

制度ロジックは、Friedlandらの文献が原著とされていて、制度ロジックがバズったきっかけがThornton & Ocasioの1999年の研究です。上の文章は、それら文献における制度ロジックの定義です。読んでみて意味がわかるでしょうか。訳わからないんじゃないでしょうか。
制度ロジックの定義がこれなのだと認めたとして、「制度」も「ロジック」も、比較的平易で一般的な概念です。じゃあ制度ロジックを「制度」の「論理」って考えたらアカンのか? と。それがダメだとしたら、なぜダメなのか。そういうことを考えてみたい、なるべく明快に書いてみたいということが、『制度複雑性のマネジメント』の執筆動機のひとつです。

■「明快さ」と「わかりやすさ」の違い

ところで書籍と論文の差異というのは、オーディエンスの広さ・狭さにあると思っています。実際のところ、ある領域の論文を査読できるような人って下手したら、世の中に10人もいないことがある、と言われています。その論文が明快な文章じゃなかったら余計に、まともに評価できる人が10人もいないわけです。これ自体にはよいも悪いもないですが、同じことを本でしてしまったら、その本を読んで価値がわかる読者は10人しかいないということになります。
ということで、より広く届けるためには、明快に書かなくてはならない。ところがこれは、わかりやすくすることとはイコールではないんですよね。わかりやすくしようとすると、不正確さが入り込んでしまうおそれがあるからです。読み手のリテラシーの低さを過度に考慮してわかりやすくしてしまうと、どこかで不正確さを受容することになります。
たとえば、先ほど、ワイクという危険なワードが出てきましたが、とある有名な本のなかでは、カール・E・ワイクのセンスメイキングが「腹落ち」と表現されています。これに対してワイクに詳しい方が、「腹落ち」は違うだろうと憤っておられて。これは、正しさよりもわかりやすさが優先されたがゆえに起きる論争であるといえます。明快さをめざしたというより、読み手のリテラシーを低く見積もって、わかりやすくし過ぎたことに起因しているのです。
ということで、明快であるということと、わかりやすさとは、別のものだと思っています。ただ、言葉遊びのようで少し難しい話なので、この点は本日のテーマ2にて、高橋先生と岩尾先生に、よりオーディエンスを広げるためにはどうしたらよいのかというポイントで、お話を伺えればと思っています。

■ノンテクニカルサマリー

今回の工夫のひとつとして、本にするならば、研究者ではない人にも届くようなものになるように意識して、「ノンテクニカルサマリー」を入れました。
先ほど登壇された園田さんに献本したところ、既に読んでいただいてコメントまでいただいたんですけども、外の人に書こうとしてるね、と言っていただいて、我が意を得たり、ですごく嬉しく思っています。

『制度複雑性のマネジメント: 論理の錯綜と組織の対応』(白桃書房)の抜粋と
園田先生からのコメント

昨今、EBPMなどの文脈でみかけるようになっているノンテクニカルサマリーとは、要するに、できるだけ学術用語を使わずに簡潔にまとめた要旨のことです。
わかりにくいものがちょっとでも明快になればよいなと。私は別に「サディスト」ではないということを、今日お伝えしたいと思っています。

■本と論文は誰のために?

最後に、本と論文って代替関係になりがちですが、補完し合うものでもあると考えています。
いわゆる若手研究者に対しては、本を書いている暇があったら論文を書け、と言われる風潮も当然あるんですよね。
限られた時間をどちらに充てるかという観点からすればそれらは代替関係のように感じられますが、同時に補完関係であることもできるはずです。そもそも、読み通せる論文を書くことは難しいですから、200頁の読み通せる本を完成させることはさらに難しいと想像できます。本を書く過程自体がすごく難しく、すごく勉強になるんです。200頁の文献を、明快性と論理的一貫性を担保して執筆できる力があるなら、論文は少なくとも分量のうえでは楽な部類です。
また、特にアーリーキャリアの方にいえることとして、研究キャリア上の回顧的センスメイキングができるというか、自分の研究活動を振り返る時間にもなります。ああ自分はこういう研究をしていたのだなとか、そこから今後の指針が見出されることもあるはずです。
こうした理由から、出版すること自体に大きな意味があると信じています。そして書籍の出版は当たり前ながら出版社さんのご助力がないと達成されないものですし、出版助成などの周辺制度の力がないとできない。書籍は集合的な創造物でもあるのです。
今回のお話が、今後出版をしたいとお考えの皆さんのために、少しでも役立てばよいなと思います。

登壇者略歴

中原 翔(なかはら・しょう)

2016年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。大阪産業大学経営学部講師を経て、2019年より同学部准教授。現在に至る。
専攻:経営管理論、経営組織論。
Twitter:https://twitter.com/ShoNakahara
researchmap:https://researchmap.jp/7000023037


田原 慎介(たはら・しんすけ)

2021年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。関西学院大学人間福祉学部助教、京都大学大学院経済学研究科ジュニアリサーチャーなどを経て、2021年より公立諏訪東京理科大学共通・マネジメント教育センター講師。現在に至る。
researchmap:https://researchmap.jp/shinsuke_tahara

園田 薫(そのだ・かおる)

2021年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。2021年より日本学術振興会特別研究員(PD)として、法政大学に所属。現在に至る。
専攻:産業社会学、人的資源管理論、組織論。
Twitter:https://twitter.com/kaoru_sonoda
researchmap:https://researchmap.jp/kaoru_sonoda

舟津 昌平(ふなつ・しょうへい)

2019年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。京都産業大学経営学部助教を経て、2022年より同学部准教授。現在に至る。
専攻:経営組織論、イノベーションマネジメント論。
researchmap:https://researchmap.jp/sfunatsu


運 営

中園 宏幸(なかぞの・ひろゆき)
2015年同志社大学大学院商学研究科博士後期課程修了。博士(商学)。 同志社大学助教、広島修道大学助教を経て、2019年より広島修道大学商学部准教授。
専攻:イノベーション・マネジメント
Twitter:https://twitter.com/nakazonolab
researchmap:https://researchmap.jp/hnakazono

木川 大輔(きかわ・だいすけ)
2017年首都大学東京(現東京都立大学)大学院社会科学研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。東洋学園大学専任講師、同准教授を経て、2023年より明治学院大学経済学部国際経営学科准教授。専門は経営戦略論、イノベーション論。
Twitter:https://twitter.com/dicekk
researchmap:https://researchmap.jp/dicek-kik

報告会を終えて

この研究会を主催した動機や経緯は色々あるのですが、おおもとを辿っていくと、私自身が2021年に中央経済社様から著書を出版させていただいた経験にたどり着きます。当時(今も?)、駆け出しの研究者であった私が持ち込んだ企画の出版を引き受けていただき、右も左も分からない中で執筆した著書を編集部の多大なサポートを経て、無事(?)に世に送り出すことができました。
「出版事情の厳しい中」という文言が、著書のはしがきや謝辞などに用いられるようになって10年以上が経過しています。加えて、「著書よりも論文」という風潮が年々強くなっていることも概ねコンセンサスが形成されているかと思います。
しかしながら、私が著書を出版させていただいた後に得られた手応えは、そうした事前情報とは大きく異なるものでした。紙幅の都合上、具体例を示すことは控えますが、著書を出版させていただいた以降は、さまざまな点において、研究者としての生活が格段に楽になりました(もちろん経済的な意味は含まれておりません)。
他方で、こうした経験や情報の伝達は、これまで、恐らくは師弟や同門同士の研究者の間でしか伝承されてこなかったであろう、という問題意識を抱くきっかけにもなりました。このような、漠然とした問題意識を抱き始めたタイミングにて、面識のある先生方が相次いで新刊を出版されることを知ったので、私自身の体験談として話すよりも、メタ視点で整理した上で、出版して間もない(すなわち注目度の高い)ホットな先生方にざっくばらんに語っていただくような研究会にしようと考えた次第です。
本研究会には、多くの大学院生が参加されておりましたから、上述した「著書よりも論文」という風潮が高まって久しい昨今においても、「いつかは著書を出したい」という想い(あるいは憧れ)は依然として存在しているのだろうと思います。私自身、今後もアーリーキャリアの研究者が著書を出版することに対して、なんらかの形で支援していくことができればと思っています。(木川大輔)

木川さん、舟津さんとの共同での企画は1年ぶり2回目でした。今回も基本的には「ナカゾノが聞きたいことを聞く会」として構想を進めました。そうした極めて個人的なお気持ちは、木川さんが明快にまとめてくださったように、外的妥当性があったようです。それゆえに会を終えては、「ありがたいなぁ」との気持ちでいっぱいです。満杯です。これも、ご登壇いただいたみなさまのおかげです。ありがとうございました。
研究書の出版にまつわる情報は、極めて非対称性があるものです。われわれは、研究書をもとに勉強を始めて、論文を読み、論文を書く、そんな生活を送ってきたはずです。大学院では、論文の読み方や論文の書き方については指導を受けます。ところが、当たり前のように存在していて、財布と相談して泣きながら購入した研究書がどのように出版されるに至るのか、あまりにも無知でした。誰かに聞こうにも、誰にどう聞いたらよいかわからず、とりあえず当面の論文を書かなければならないと急かされる日々です。
経営学を勉強しているわれわれは、一般的に情報の非対称性が競争優位につながることを知っています。その意味では、研究書の出版にまつわるエトセトラは、秘匿し続けたほうが個人の利益につながるはずです。たぶん。しかしながら、今回の登壇者のみなさまは、自らの体験・経験にもとづいて惜しみなく情報を公開してくださいました。これは、登壇者のみなさまがどうかしていて、個人の利益を放棄したということを意味するのかというと、当然そんなこともありません。一見、非合理的に思える現象を見つけるとわくわくするのが研究者の性分です。
それでは、非合理的に思える現象がなぜ起こるのか、起こったのか、考えてみるわけです。ナカゾノの研究的にいえば、情報を公開することから始まるオープン・イノベーションがありそうです。みなさんから共有された情報をもとに、新たな価値ある研究書が生まれることでしょう。その結果としてどうなっていくのか。木川さんの研究的にいえば、エコシステム(のようなもの)が形成されるかもしれません。新たな情報の流れが生まれることにより、共同研究が始まるきっかけになるかもしれません。そうであるならば、必ずしも非合理的な現象でもなく、それぞれに利益が発生する可能性は十分にありそうです。さらに考察を進めれば、おそらく登壇者のみなさまはそのような利益の可能性を想定して戦略的に動いてくださったのではなく、ノブレス・オブリージュのような、アカデミック・コミュニティに対する貢献の気持ちから賛同してくださったのではないかと思います。そのように理解すると、意図の上では非合理性を了解しつつも、意図せざる結果としての利益獲得可能性により、結果として非合理性を回避できているのだろうと。
ごちゃごちゃ書きましたが、結局なにかといえば、よいコミュニティが生まれつつあるということです。特定のポストや学会賞などを争う強敵であると同時に、学問と学会を盛り上げる仲間たちのコミュニティです。まさに競争と協力の関係です。この2,3年、オンライン学会が続き偶発的なネットワーキングがあまり進みませんでした。Twitterでフォローする、フォローされる程度の弱い(弱すぎる)紐帯です。この紐帯が、ゆるやかにコミュニティになっていくのだと思います。「いつもTwitterみています!」から始まる会話はそのようなことを示唆しているのでしょう。
というわけで、みなみなさま、ありがとうございました!(中園宏幸)


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