ウクライナでのビジネスを考える―投資のための法的背景を読み解く―【連載】第2回 20世紀初頭のウクライナの独立の基礎を築いた歴史的文書とは? ウクライナ中央ラーダのユニバーサル
「ウクライナ中央ラーダ」(Ukrainian Central Rada or UCR)(注1)は20世紀初頭のウクライナ人民を代表する機関であり、ウクライナ人民共和国(The Ukrainian People's (National) Republic or UPR)の建国宣言後の最初の議会となった(1917年3月4日~1918年4月29日)。このウクライナ中央ラーダが、ウクライナの独立の基礎を気づいた歴史的文書となる「ユニバーサル」を定めた。ここでは、ウクライナ中央ラーダと、それが定めた4次にわたるユニバーサルについて、概要を述べる。
さかのぼること18世紀後半から19世紀にかけて、ヨーロッパでの数々の戦争の結果、ウクライナのほとんどの土地はロシア帝国の一部となった。ウクライナのコサックの残党は改革され、ロシア軍に加わった。ロシア帝国主義は、様々な方法や手段でウクライナの国家制度を制限しはじめ、最終的には18世紀末までにこれらを排除した。
ウクライナの国家としての復活は20世紀初頭に起こった。20世紀初頭、ウクライナ人は1917年から1921年のウクライナ革命で初めて独立国家を樹立した。
1917年3月、「ウクライナ中央ラーダ」(UCR)が設立され、国家建設に民主的な立法枠組みを提供しようとした。この後、ウクライナ中央ラーダによって、ウクライナの国家としての発展の重要な要素となった国家政治法である「ユニバーサル」が4次にわたって採択された。
「第一ユニバーサル」は、ウクライナのロシア国内における自治を宣言し、ウクライナの主権力はウクライナ国民であるとした。統治はウクライナ国民議会が行い、同議会はウクライナ領内で有効な法律を採択する。同時に、ロシアはこのウクライナの自治に反対した。このため、ウクライナの自治の形態は最終的にロシアの制憲議会が決定すると宣言した妥協的な「第二ユニバーサル」が採択された。
1917年11月20日のウクライナ中央ラーダによる「第三ユニバーサル」は、民主的ロシア内におけるウクライナ人民共和国(UPR)の自治権を宣言した。第三ユニバーサルによると、ウクライナの自治には9つのウクライナ民族の州(地域)が含まれることになっていた。ウクライナの土地におけるすべての権力はウクライナ人に属する。立法府、行政府、司法府に権力を分割することが規定された。土地の私有権は取り消され、土地は「労働者人民」の財産であると宣言された。民主的自由が導入され、言論、報道、言語、宗教、集会、ストライキの自由が認められた。1日8時間労働と生産管理が導入された。司法改革が実施され、死刑が廃止された。地方自治の権限が拡大された。
ウクライナ国民にとって最も重要だったのは、1918年1月9日の「第四ユニバーサル」で、ウクライナ人民共和国は「誰からも独立した、自由な、ウクライナ国民の主権国家となる」と宣言した。こうしてウクライナ人民共和国は、自治権を放棄し、旧ロシア地域との連邦化を終了させた。独立宣言の決定には、外部環境が大きく影響した。当時、ウクライナ軍部隊とロシアのボリシェヴィキ部隊が戦闘を繰り広げていた。ボリシェヴィキ軍はキエフに接近していた。ウクライナ中央議会は、ロシアの武力侵略に対抗する同盟国を模索していた。こうして独立を宣言することで、ウクライナは国際舞台で自らを正当化し、国際条約を締結することができた。ウクライナは、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、トルコ、ブルガリアの4国同盟のメンバーから正式に承認された。
第四ユニバーサルでは、ウクライナの権力はウクライナ国民に属すると規定され、制憲議会はその国民に代わって行動した。ウクライナ人民共和国は、すべての近隣諸国との平和と調和を望む平和国家であると宣言された。内戦を引き起こしたロシアのボリシェヴィキ政権の政策が厳しく批判された。農民の利益のために土地改革を実施し、生産、貿易、銀行部門の統制を確立する計画だった。第四ユニバーサルは、時事的な呼びかけで幕を閉じた:「我々は、独立したウクライナ人民共和国の全市民に対し、我々の人民の自由と権利を守るためにしっかりと立ち上がり、農民と労働者の独立した共和国のすべての敵に対して、その運命を全力で守るよう呼びかける」。
ウクライナ中央ラーダのユニバーサル採択は、ウクライナ人民共和国の一種の憲法制定行為だった。ユニバーサルは宣言的な性格を持っており、政治的、経済的、社会的、その他ウクライナの国民生活の基盤を法的に規定し、国民国家を発展させる極めて重要な手段であった。
注1 中央評議会、中央審議会、と訳されることもある。
[参考文献]
1. Універсал Української Центральної Ради (ІІІ) від 7 (20) листопада 1917р. Електронний ресурс:
2. Історія держави та права України у двох томах. Том 1 за редакцією докторів юридичних наук В.Я Тація, А.Й. Рогожина, В.Д. Гончаренка. Електронний ресурс; https://sites.znu.edu.ua/ua_statehood_history/sereda/Microsoft_Word_-_-storVya_derzhavi_V_prava_ukra_ni__za_red__v_ya__tatsVya__t__1_.pdf
3. Універсал Української Центральної Ради (IV) від 09.01.1918р. Електронний ресурс https://zakon.rada.gov.ua/laws/show/n0001300-18#Text
[著者紹介]
ウリバチョバ・イリーナ
2022年から弁護士法人キャストグローバルでウクライナ法に関する法律業務(在日ウクライナ避難民に対する支援業務、ウクライナ法に関する情報提供等)。ウクライナ・スミ市出身、2006年ウクライナ・スミ市役所法務部(弁護士)、2008年~2022年ウクライナ国立スミ大学准教授(40以上の論文・書籍等)。
ホロブコブ・セルヒー
弁護士法人キャストグローバル外国法研究員(ウクライナ法)、パラリーガル。2023年から弁護士法人キャストグローバルでウクライナ法・ウクライナ語に関する各種業務(在日ウクライナ避難民に対する支援業務、ウクライナ法に関する情報提供等)。ウクライナ・クリミア半島出身、18年クバン州立農業大学法学部卒業(ユリスト)。
ホンチャレンコ・タチアナ
経済学博士、経済学者、科学者、政治家。スミ市出身。スミ経済貿易専門学校長。NGO「ウクライナ・日本パートナーシップ協会」創設者。2022年よりキャスト・グローバル・グループに勤務し、「日本に避難しているウクライナ人のための法的支援」プロジェクトの運営に携わる(在日ウクライナ避難民に対する支援業務、ウクライナ法に関する情報提供等)。
芦原一郎
2020年から弁護士法人キャストグローバルで日本法・NY法に関する法律業務(経営、規制対応、訴訟、労働法、保険法、金融、コンプライアンス、リスク管理、民暴対策など)。1995年弁護士登録(47期)、森綜合法律事務所(現森・濱田松本法律事務所)の後、約20年の社内弁護士(日米欧金融機関など)経験。司法試験委員(労働法)、「経営の技法」「法務の技法」など(いずれも中央経済社)。早稲田大学法学部、ボストン大学LL.M卒業。
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