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感染症と「死」、そして企業経営(2)|三越・主婦之友・生協はなぜ誕生したか

こんにちは。中央経済社note編集部会計実務担当です。
この記事は、弊社緊急情報発信サイト『新型コロナ危機下のビジネス実務』において、2020年6月9日に掲載した記事のアーカイブです。
同サイトは、2020年から新型コロナウイルスの感染拡大を受け、社内有志で緊急的に立ち上げた情報発信サイトであり、サイトの趣旨に賛同いただいた東京大学の清水剛教授に『感染症と「死」、そして企業経営』と題して連載を行っていただきました。この記事は、その連載の第2回です。

書籍『感染症と経営―戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか』はこちら

 東京大学教授 清水 剛

本稿の趣旨

先に「感染症と「死」、そして企業経営」というタイトルで戦前の日本の企業経営から「コロナ後」の経営について考える記事を書かせていただいたが、その際には経営といっても、企業の労務管理の側面のみを取り上げていた。そこで、今回は消費者との関係に焦点を当て、「コロナ後」における消費者と企業との関係について考えてみたい。

前回の記事でも述べたように、「コロナ後」の社会は、「死」というものの存在を日常の中に感じるようになった社会、という意味で戦前の日本社会と類似している。それでは、「死」を日常の中で感じる社会における消費者と企業との関係はどのようなものなのだろうか。まず、「死」を感じる社会における消費者と企業の関係を整理した上で、実際に戦前の日本では消費者と企業の関係はどのようなものだったのか、そしてそのことは「コロナ後」の経営にどのような示唆を与えるのかをみてみることにしよう。


1 「死の影」の下での消費者

「死の影」の下での2つの消費パターン

死を日常的に感じる、という言い回しを何度も用いているとくどいので、ここではいささか文学的だが「死の影」の下にいる、と表現することにしよう(中村真一郎の『死の影の下に』を思いだしてくださっても、堀辰雄『風立ちぬ』の最終章「死のかげの谷」を思いだしてくださってもよい)。

死の影の下にある消費者は一体どのように行動するのだろうか。実は、これには2つの可能性が考えられる。

  1. 自分の死により家族の収入が途絶える(あるいは死には至らなくても病気により仕事を続けられなくなり、収入が途絶える)可能性を考え、消費を減らして貯蓄を増やす

  2. (家族に収入がある場合、あるいは家族がいない場合等家族のことを考えなくてもよい場合には)貯蓄をしても自分が死んだ場合には意味がないので、貯蓄を減らして現在の楽しみのために消費を増やす

この2つはいささか矛盾するようだが、これは個人や状況によって異なる。端的にいえば、家族がいてその家族の生活を心配するような状況であれば、自分の病気や死のことを考えて節約し、家族の生活を心配しないのであれば、お金を貯めても意味がないのでぱっと使ってしまう、と思ってもらえばよい。

1.の場合には貯蓄を増やすために、安さが重要になる。つまり、特定の企業にこだわることなく、安い商品に流れていってしまう。売り手のほうもそのことがわかってくると、低品質の商品を高い価格で売りつける、いわば「ぼったくり」を考えるようになる(このことを顧客も知っていると、そもそも最低品質の商品以外市場取引が成立しなくなる、というのがいわゆる「逆選択」の問題、あるいは「レモン市場」の問題である)。ゆえに、消費者としては、安さを追求しつつ、低品質の商品を避けなくてはいけないことになる。

2.の場合には、安さはそこまで重要な問題ではなくなる。しかし、例えば骨董品のようなものを考えてみると、その品質を知ることが容易ではない(下手をすると、買って家に飾っていてもわからない)ために、やはり騙される可能性が高い。

騙されるのを避ける

以上のように考えると、「死の影」の下にある消費者にとっては、何らかの形で騙されることを避けるような仕組みが必要になることがわかる。1.2.で消費者の動機はそれぞれに異なり、1.の場合には安い価格で生活のための品が一定の品質で供給される仕組みが、2.の場合にはぜいたく品や趣味の品について価格は高くてもよいが高品質な品が確実に供給される仕組みが必要となるが、いずれにせよ騙されることを避けることが必要であることは変わらない。

もちろん、騙されるのを避けることは「死の影」の下にない消費者にとっても同じく重要である。しかし、例えば1.の消費者を考えてみると、命を失うかもしれない(あるいはそうでなくても病気になるかもしれない)と考える消費者にとっては、貯蓄のために節約するのは切実な課題であっただろう。2.の消費者にとっては切実な課題とまではいえないだろうが、しばしば高額な商品であることを考えれば、重要な課題であることには違いない。

それでは、戦前期の日本においては消費者が騙されることを避けるような、売り手からみれば消費者の不安感や不信感を乗り越えるような仕組みはあったのだろうか。次にこの点を、明治期以降の小売業の実態からみていくことにしよう。

2 戦前の日本における企業と消費者

掛け値、掛け売り、御用聞き

明治維新から大正期に至るまで、小売業は基本的には江戸期から大きく変化していなかったように思われる。すなわち、取引の場においては定価がなく、売り手が自由に値段設定をしていたこと(掛け値)、そして支払いはいわゆるつけ払いで、盆暮れの年2回あるいは月末等に支払っていた(掛け売り)こと、売り手の側で顧客の家を訪問して注文を受け、商品を届けること(御用聞き)が一般的であったこと等の特徴は、江戸から大正に至るまで(そして、さらには昭和に至るまで)維持されていた(廣田誠他『日本商業史―商業・流通の発展プロセスをとらえる』有斐閣, 2017等)。

これらの特徴は売り手に顧客を騙すことを可能にする。まず、現在でも「掛け値なしに」という言葉が、誇張がないことを示す意味で使われるように、掛け値はしばしば高い値段をつけること、言い換えればぼったくりを意味していた。また、御用聞きは顧客にとっては便利である一方で、品物の比較ができないため、低品質の品を売り込んでくる可能性がある。

掛け売りは、それ自体は売り手が顧客を騙すようなものではなく、逆に顧客が逃げる、踏み倒す等の形で売り手に被害を与えることがありうるが、そのような危険性を考えると、取引の際に値段をある程度引き上げておくことが合理的となる。結果的に、掛け売りと掛け値は売り手が顧客を騙す、あるいは騙さなくても若干高値で商品を売ることにつながる。

百貨店の誕生-三越

それでは、このような状況に対してどのような対応がなされたのだろうか。

まず挙げるべきなのは百貨店の誕生だろう。日本で最初の百貨店は三越であるとされる。三越は1904年に三井呉服店の経営を引き継ぐ形で誕生したが、その時点ではまだ百貨店ではなかったといわれる(藤岡里圭『百貨店の生成過程』有斐閣, 2006, pp. 41-42)。とはいえ、すでに品物を店頭に並べて販売する陳列販売や百貨店の1つの特徴とされる定価販売、現金決済も導入されており、また品揃えも拡大して現在の百貨店に近づきつつあった。

この三越のような百貨店はまず上流、中流階級をターゲットとしていたが、これらの人々にとっては、百貨店は高品質の品を豊富に取り揃え、安心して買い物ができる場所であると捉えられていた(初田亨『百貨店の誕生―明治大正昭和の都市文化を演出した百貨店と勧工場の近代史。』三省堂, 1993, pp. 82-86, 94-97)。実際、百貨店は店頭での販売に力を入れる一方で、優良顧客向けの訪問販売(外商と呼ばれる。現在でもいわゆるセレブ向けの商売としてしばしば話題になる)を維持してきた(田村正紀『消費者の歴史―江戸から現代まで』千倉書房, 2011, p. 155)。

さらに、百貨店はこのような上流階級向けのものから、1920年代後半以降大衆化していった(初田前掲, 第6章)。すなわち、1920年代になると上流階級だけでなく、より広く一般大衆にも利用されるようになった。そして、多くの人々にとっては、百貨店とは豊富な品揃えの中で買い物ができるだけでなく、壮麗な建物があり、その中で珍しい催し物や食堂等があるといういわばテーマパーク的な存在であった。

ただし、単にテーマパークであるだけでなく、百貨店は安くて安心して買い物ができる、という認識があることも指摘できる。百貨店について「忙しい時に何でも間に合ひ品物が豊富で、しかも値が安いといふのですから安心して買ふことが出来る」という意見(産婦人科医で教育者の三輪田繁子の意見。大岡聡「昭和戦前・戦時期の百貨店と消費社会」『成城大学経済研究所研究報告』(52), 2009, p.8から再引用)を読むと、特に「値が安い」という部分について若干の違和感を感じるだろう。しかし、上で述べたような掛け売りとしばしば起こる「ぼったくり」の可能性を考えれば、百貨店は「値が安く」て「安心して買ふ」ことができる場所だったのである(ただし、三輪田繁子は三輪田学園の創立者の養子の妻であり、中流以上の階層に属していたことには注意すべきだろう)。

つまり、百貨店というのは2.のような消費者に対して高価で高品質な商品を提供するだけでなく、1.のような消費者にも一定の品質の商品を供給する仕組みとなっていたのである。関東大震災後に百貨店も一般の人々を対象にして生活必需品の販売を始めたという事実(初田前掲, pp. 177-178)も、こう考えれば理解できるだろう(なお、コロナ禍の中で、百貨店が自主休業を決めた際に経済産業省が「デパ地下」が都心部での食品供給を担っているとして批判し(「『なんて勝手』国が百貨店を非難 デパ地下休業で板挟み」朝日新聞デジタル版2020年4月10日)、ネット上で議論が起こっていたが、この論争の起源はこんなところにある。ただし、現代においては百貨店は主としてぜいたく品を扱っていると理解するのが自然だろう)。

通信販売-主婦之友

しかし、百貨店は数も限られており、行くには時間もお金もかかる。さらに当初は上流・中流階級の人を対象にしていたとなれば、①のような消費者にとって常に利用できる手段ではなかっただろう。

このような場合に利用される手段の1つが通信販売であった。通信販売自体は日本での歴史は長く、明治期の早い段階から存在しており(満薗勇『日本型大衆消費社会への胎動―戦前期日本の通信販売と月賦販売―』東京大学出版会, 2014, p.40)、その後百貨店による通信販売などもみられたが、必ずしも成功したわけではなく、部門も縮小していった。これに対して、通信販売の拡大をもたらしたものの1つが、主婦之友社(現主婦の友社)等の婦人雑誌、あるいは講談社等が設立した「代理部」、すなわち雑誌が商品を紹介し、また生産者に代わって販売する(仲介する)部門であった(前島志保「消費、主婦、モガ―近代的消費文化の誕生と「良い消費者/悪い消費者」の境界について」笠間千浪編『〈悪女〉と〈良女〉の身体表象』青弓社, 2012所収)。

とりわけ、雑誌「主婦之友」の代理部は大きな反響を呼んだ。「主婦之友」は1917年に創刊され、1921年末は販売部数25万5千部に達し、1934年には販売部数100万部に達した、当時最もポピュラーな雑誌の1つである(満薗前掲書, p.193)。「主婦之友」は創刊間もなくして代理部を設立し、家庭のための実用的な商品を販売した。この代理部からは生活に関わる様々な道具や食品(鮭缶等)を販売していたが、滋養強壮剤である「活力素」をはじめとして様々なヒット商品を生んだ。また、1933年頃には編集部が選んだファッションを雑誌で紹介しているうちに、読者からの希望で代理部で販売するようになり、これにも注文が殺到した(主婦の友社『主婦の友社の五十年』主婦の友社, 1967, p.63-65, 154-155, 209. 前島前掲論文)。

このような代理部の販売は、消費者の側からみれば、もともと自分が愛読している雑誌が選んだ商品であるため、雑誌を信用して安心して購入することができる。生産者からすれば、今まで知名度が全くなくても、雑誌が介在することで信用して購入してもらえる。そして、雑誌からみれば、代理部が信用を失うだけでなく雑誌の愛読者が離れるリスクを考えれば、きちんと選んで販売せざるを得ない。

さらに、雑誌という媒体を通じた読者と編集部の強い関係性がこのような販売の仕組みを強化する。上で述べた、雑誌で紹介したファッションを読者の希望で代理部で販売する事例や、読者から募集した図案を審査して優秀作を商品化し、百貨店や代理部で販売して大ヒットとなった「主婦之友浴衣」(1925年から)の事例はこのことを示している(主婦之友社前掲、pp.112-115, 前島前掲論文)。戦前の日本における企業と消費者(続き)

死の影の下にある消費者の2つの行動パターン(再掲)

  1. 自分の死により家族の収入が途絶える(あるいは死には至らなくても病気により仕事を続けられなくなり、収入が途絶える)可能性を考え、消費を減らして貯蓄を増やす

  2. (家族に収入がある場合、あるいは家族がいない場合等家族のことを考えなくてもよい場合には)貯蓄をしても自分が死んだ場合には意味がないので、貯蓄を減らして現在の楽しみのために消費を増やす

生協の創設-コープこうべ

さて、このような代理部を通じた通信販売が普及したとしても、いわゆる生活必需品、特に食料等はこの経路で手に入れることは難しいだろう。それでは、1.のような消費者が安心して生活必需品を得る手段はあったのだろうか。このような手段としては、消費組合(購買組合)を挙げることができる(これ以外に小売市場といわれる、建物を作って小売商に貸す形態の市場も重要であるが、これは大阪を中心に広がったものの、必ずしも全国で広く利用されたわけではないためここでは省略する。廣田他前掲書、第7章参照)。

消費組合あるいは購買組合とは、現在でいう消費生活協同組合(生協)のことである。日本での最初の生協は1879年に設立された共立商社等であるとされるが、これらの組織あるいはその後作られた組織は、いずれも短命に終わっていた(日本生活協同組合連合会『現代日本生協運動史』上, 2002, pp. 28-36)。

現代につながる生協の起源は、スペイン風邪の流行期である1919年頃から作られはじめた一群の消費組合であるとされる。1920年には大阪ですでに存在していた購買組合を改組して浪速購買組合が作られ、同じ年に購買組合共益社、1921年には神戸購買組合・灘購買組合が作られている。東京でも1919年に家庭購買組合(吉野作造、藤田逸男らが設立し、戦前期の最大の生協となる)、月島購買組合、1920年に共働社が設立されている。

このような動きの中心となったのが、キリスト教の牧師で社会運動家、また当時ベストセラーとなった『死線を越えて』の作者として知られる賀川豊彦である。賀川豊彦が設立にかかわった購買組合共益社は大阪における代表的な購買組合とされ、また同じく設立にかかわった神戸購買組合・灘購買組合は合併して灘神戸生協となり、現在コープこうべとして生協の代表的存在となっている。この共益社の綱領をみると、組合員のために「実用本位の日用品を廉価に供給」することが大きな目的とされており、実際にこの共益社や神戸購買組合・灘購買組合でも生活必需品である米・味噌・醤油等を取り扱っている。さらに、神戸購買組合や灘購買組合では精米、味噌・醤油の製造が行われている。

消費組合は経営がうまくいかなかったものも多く、上記の共益社も創立から4年後の1924年には解散の危機に瀕しているが、このような購買組合の活動により、1.のような消費者に一定の品質の生活必需品を供給できたといってよいだろう。

3 「コロナ後」の消費者―企業関係

評判とネットワーク

以上、死の影の下にある消費者が騙されることを避ける、売り手からすれば顧客の不安感や不信感を乗り越える仕組みとして、百貨店、出版社の代理販売、消費組合について述べてきた。それでは、これらの仕組みの特徴とは何なのだろうか。

これらの形態に共通するような特徴としては、信用できるという「評判」「ネットワーク」の利用を挙げることができる。

百貨店は言うまでもなく、信頼できる商品を供給するという評判で成り立っている。百貨店側も、この評判に基づいて、②のような顧客には高品質の商品を売ることができ、また①のような消費者もある程度引き付けることができる。またそれだけでなく、外商のような形で顧客とのネットワークを作ることで、騙すと優良顧客を失うことになるため、信頼できる商品を供給するようになる。

出版社の代理販売もまた、雑誌の持つ評判、例えば「主婦之友」であれば主婦に対して実用的で有用な知識を提供する雑誌であるという評判があり、この評判に基づいて通信販売が成り立っていた。また、それだけでなく、読者と編集部のネットワーク、というより現代でいえば読者と編集部のコミュニティが、この通信販売をより信頼できるものとし、また通信販売そのものの内容も拡大させていった。

消費組合はそれ自体は評判を利用しているわけではないが(ただし、帝大教授であった吉野作造やベストセラー作家であった賀川豊彦の名前は利用しているといえるかもしれない)、労働者を組織化し、その相互扶助の組織として組合を形成するというのは、まさにネットワーク化ということができるだろう。

すなわち、死の影の下で、消費者が騙されることを防ぐ仕組みとして、評判とネットワークというものがあったことになる。

実店舗、既存の評判・ネットワークの活用、コミュニティの形成…

さて、それではこのことは、「コロナ後」の社会に対してどのような意味を持つだろうか。

先に、戦前の社会と「コロナ後」の社会の類似点は、「死」を日常の中で感じる社会であることであると述べた。しかし、実は戦前の社会と「コロナ後」の社会は別な点でも似てくることが予想される。それは、コロナ後に実店舗の利用が減り、インターネット上の販売がより利用されることで、顧客が騙される機会が増大することである。

実店舗があれば実際に商品を見ることができ、また実際に店舗があることで、少なくとも実店舗を建設できるだけの資金と信用があることも(一応は)わかる。また、実店舗があれば逃げることは難しい(夜逃げ的な状況はありうるにせよ)。ところが、インターネットでは実物を見ることはできず、また誰でも売り手になることができる。さらに、ネット上の販売であれば逃げることも簡単である。実際、新型コロナウイルスの感染拡大の時期に、マスク等のインターネット上の詐欺的な商法について警告がなされたのは記憶に新しい(例えば「ネット通販、マスク届かないトラブル続発 アマゾンでも」朝日新聞デジタル2020年5月2日)。

こう考えると、コロナ後の社会においてこそ、上のように顧客が騙されることを防ぐ仕組み、売り手からみれば顧客の不安感や不信感を乗り越える仕組みが重要になってくる。

それでは、どのようにすればそのような仕組みを作ることはできるだろうか。もちろん、「評判」や「ネットワーク」を作りだすのが基本的にはよいのだが、売り手からみれば、評判を確立するには基本的には取引を積み重ね、顧客からの信頼を獲得する必要があるため、簡単ではない。

1つの方法としては、上に述べた実店舗を作ることで信頼を獲得する方法があり、壮麗な三越百貨店本店ビル(1914年竣工)等はこのような意味で信頼を獲得する方法だったと考えることもできる。しかし、実はこれも騙そうとする側がある程度投資する気になれば実店舗を作ることは可能である(さすがに三越本店ビルを作ることはできないだろうが)。なので、実店舗のある店から購入する(売り手側は実店舗を作る)というのは可能な方法ではあるが、これだけでは十分ではない。

上の戦前の事例が示唆するもう1つの方法は、売り手側が他の形ですでに持っている評判やネットワークを利用(転用)することである。三越はすでに呉服店として十分な評判を得ており、これを引き継ぐ形で百貨店の評判を獲得した。また、「主婦之友」等の出版社は読者というネットワークを、代理部を通じた販売にも利用したといえるだろう。このように、現在持っている評判やネットワークを利用することで、信用を獲得することができ、顧客側でもこれを信用して商品を購入することができる。

しかし、もちろん、このような形で利用できる評判やネットワークを持たない企業のほうが多いだろうし、あるいは持っていてもうまく利用できていない企業も多いだろう。そのような企業が消費者に信用されるためにはどうしたらよいだろうか。上記の消費組合の事例をみると、評判を持たなくてもネットワークを作っていくことで、企業(売り手)が顧客から信用されるようになる可能性を指摘できる。ただし、購買組合共益社が経営に苦しんだことからわかるとおり、ネットワーク化だけで顧客が信用して購入するようになるとは限らない。

むしろ、「主婦之友」の成功からは、「主婦之友」のように顧客との間にコミュニティを形成する形が好ましいことが示唆される。現在、ネット技術の進歩で顧客に対してポイントを付与したり、メールを送ったりということは簡単にできるようになっているが、それだけにかえって顧客と企業との関係は薄くなってしまっているともいえる。「コロナ後」の不安な時代であるからこそ、顧客をコミュニティに取りこみ、顧客との信頼関係を作っていくような経営が必要なのではないだろうか。

バックナンバー

第1回 戦前の日本社会から「コロナ後」を考える

第3回はこちら

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