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【座談会】研究者コミュニティを超えた社会との架け橋としての著書|今、研究者が書籍を出版する意義とは? 経営学系若手研究者による研究書の出版に関する研究会レポート③

2023年3月6日14時〜17時に、京都大学吉田キャンパス・オンラインにて「経営学系若手研究者による研究書の出版に関する研究会」が開催されました。研究書の執筆や出版についての包括的な知識を共有するために、「研究書にまつわるエトセトラを大いに語る場」として実施された研究会です。
2つのテーマごとにセクションが設けられました。

テーマ1 研究書の執筆、出版を通じた学び、内面の変化
 発 表:研究書の執筆、出版を通じた学び、内面の変化
 座談会:ごく最近研究書を出版された、または出版予定の若手研究者による座談会
テーマ2 研究者コミュニティを超えた社会との架け橋としての著書
 座談会:研究者コミュニティを超えた社会との架け橋としての著書

この連載では、研究会の様子を3回にわけて紹介していきます。本記事は、テーマ2「研究書の執筆、出版を通じた学び、内面の変化」より、3名の研究者による座談会を記録したものです。

※登壇者の所属は、すべて2023年4月時点のものです。

出版の経緯 

【司会】清水剛(東京大学):
東京大学の清水と申します。よろしくお願いいたします。
テーマ1では、真面目に話が進んだので、こちらはもう少し軽い雰囲気でやってみたいと思っています。

さて、高橋先生も岩尾先生も、堅めの学術書と比較的やわらかめの書籍とを出しているという共通点がありますね。

まずは、堅めの書籍のお話から。学術的な内容でありながら、一方で、いわゆる研究書の立ち位置にとどまらず、広く社会にアピールできる形に仕上げられていると思います。
私の著書『感染症と経営:戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか』(中央経済社)も、そのようなことを意識しています。

私自身が、なぜそのように書いたのか、後から考えてみたところ、コロナ禍において、さまざまな人に異なる視点を提供したかったのだと思います。しかし、アカデミックの水準を保つ必要があるので、ちゃんとした根拠に基づく内容であることをアピールしつつ、より多くの人に読んでもらえるよう弱冠は考えました。

岩尾さんは、『日本“式”経営の逆襲』において、経営の現場にいる人々にアピールされていると思うのですが、どういった経緯でこの本を書こうと思われたんですか。また、どういう対象にアピールしようと思われていますか。

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
この書籍を出す2年程前に、日本の自動車産業に属する企業の強さの秘密を実地調査とコンピュータ・シミュレーションから明らかにした『イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)を出版しましたが、この本に対して主に理系出身の経営者・経営者候補の役員・部長クラスの方からポツポツと反応があったんです。こういう書籍に興味を持って、反応を返してくださる経営者もいらっしゃるんだなという気づきがありました。

同時に、日本企業、たとえばトヨタ自動車のような企業の強みの原理を明らかにしたとしても、肝心のその「日本式経営の強み」を、当の日本企業自体が、最近の20〜30年にわたって捨て続けていることを惜しいと感じました。こうした状況に警鐘を鳴らす目的で、経営者に刺さるような本を書きたいと強く思いました。

なので、明確に、日本の経営者約300万人のなかの1%で3万人という対象読者の数までしっかり設定して、経営者や経営者候補に向けて、「せっかくの日本の強みを捨てるのはもったいない」と伝えるために書きました。元からアメリカ式の経営をしているなら話は別なのですが、そうではない会社が、混乱して日本式経営から方向転換してしまうような事態を避けてほしいというのが執筆動機です。

ですから、『日本“式”経営の逆襲』はビジネス書と学術書の間の「経営書」という立ち位置の本です。ちなみに、日本経済新聞出版から出た書籍は、大体この経営書というカテゴリに当てはめられています。

清水剛(東京大学):
そうなんですね。

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
はい。同じ日経グループでも日経BPはビジネス書が中心で、日本経済新聞出版は経営書が中心という分け方が昔はあったようです。

清水剛(東京大学):
ありがとうございます。
高橋先生の本は、さらにターゲットが広いですよね。

高橋勅徳(東京都立大学):
女子高生から40代独身男性、そしてその親までという感じでしょうか。

前のセッションでは学術出版の話がメインだったけれど、自分も学術書として、松嶋登先生(神戸大学)、桑田耕太郎先生(東京都立大学)と一緒に『制度的企業家』(ナカニシヤ出版)を出しました。この本は、アカデミズム内では分厚い、高い、難しいと言われつつ、よい評価をいただけたと思います。その次に、『ソーシャル・イノベーションを理論化する』(文眞堂)を出すときに、『制度的企業家』の反省を踏まえて文章レベルでは優しく書きました。

ただ、この本は日本NPO学会で学会賞を受賞し、評価されているはずなんだけど、発売2年後くらいからアカデミズム界隈以外の方には届いておらず、「誰も読んでねえ」と思ってしまって。学術書って一般的に、初刷1,000部を5年かけて売る、2刷が出たらラッキーという気持ちでやっていますよね。それが当たり前という感じで。それでアカデミズム界隈以外では読まれないのはどうなのかなぁと、そんなことを思いながら、2018年頃に一通り研究プロジェクトが終わり暇になったので、婚活してみたわけです。

それで、本にも論文にも書いていますけれど、ひどい目というか辛い目にあったわけですよ。今でもよく覚えてるんですけど、新橋で、神戸大学の松嶋(登)先生と飲みながら、どんな目にあったかを話していたら、しばらく黙っていた松嶋先生が「それ論文にしちゃいな」、「特集号に載せようぜ!」って(笑)。
彼が言うには、日本情報経営学会誌で「価値評価研究」の特集があるんだけど、そのネタにピッタリだということで、「増大するあなたの価値,無力化される私 婚活パーティーにおけるフィールドワークを通じて」(日本情報経営学会誌 2020 年 40 巻 1-2 号 p. 201-215)としてまとめました。タイトルも変やし、内容もちょっと公序良俗に反するんじゃ…なんて思いながらも、ちゃんとした学会誌に載せることになったんですよね。

そしたらちょうどその1年後に、九州産業大学の木村隆之先生から突然「炎上してますよ!」ってLINEがきたんです。世間様的には炎上というにはささやかだったけれど、Twitterでバズっていて、女子高生にも読まれて、最終的に2020年に一番読まれた論文となったことには驚きました。題材こそ婚活ですけれど、制度論という経営学の理論が元になっているのに、それが皆に理解されていた。

Twitterでのバズを受けて、「あれ、これまでは書き方が悪かったんちゃう」と思って。オートエスノグラフィーとして書くことで数万人から反応があったということは、研究論文や学術書についても、伝わるような書き方をすれば、経営学なんて関係ないと思っている方にも届くような、ものすごい広がりがあるんじゃないかなと考えました。それで日常生活に経営学の視点を持ち込んで、オートエスノグラフィーの方法論を使って思い切ってセンセーショナルな形で(笑)書いてみたという感じです。

清水剛(東京大学):
確かに、学術書を書いても読んでくれる人って、社会全体でみるとほんのわずかなんですよね。

今の高橋さんのお話からもわかるように、経営学って生活のなかにもあるわけで、そう考えると経営学を学ぶことには意味がある。ただ、伝え方を考えなくてはならないと。これは岩尾さんのお話にもつながりますが、「経営学には意味がある」。じゃあ、これをどうやって伝えますか。

「正確さ」と「明快さ」のバランス

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
それこそ、前のセッションで舟津先生がおっしゃっていた、「正確さ」と「明快さ」の話ですよね。研究書としては「正確」にするために、補足が必要なことをいろいろと書き加えていくわけですから、「明快」にすることは難しくなります。定義上、この2つは対称的なものですから、正確さと明快さのバランスをとることは難しいですよね。メッセージを明快なものにしようとして、学術的に不正確なことを書いてしまえば、研究者としてのレピュテーションが下がって、長期的には誰も自分の意見を取り合ってくれなくなります。

しかし、正確さと明快さという一見すると対立する2つに対して、共通目的を設定して対立解消することはできると考えています。まさに私の言う「人生経営」ですね。すなわち、学術的な正確さを追求する研究者としての誠実さに対する疑義が生じないようにしつつ、同時に明快なメッセージを発信して読者の広がりを得つつ社会的インパクトを与えるようなことが出来る対立解消の経営をおこなう道が1つだけあると、あるときに気づきました。それは「明快なメッセージを社会に対して発信したいときは、明らかに学術書とは異なる形式で書く」ということです。

そこで、明快さの表現方法として、私は「小説」「物語」という表現形式を選びました。実は、私は元々文芸部出身で小説はよく書いていましたし、群像新人賞の最終候補になったり、太宰治賞、文学界新人賞などでも結構よいところまで残っていたことがありました。ただ、プロレベルだと言い切れる自信はなかったので、『13歳からの経営の教科書』を執筆したときは、ライトノベル界の直木賞と呼ばれる「ファンタジア大賞」を獲られていて、複数のコミック作品もある売れっ子のライトノベル作家さんに、一年間顧問としてついてもらって、私の小説原稿に細かいアドバイスをいただきました。小説やライトノベルという表現形態であれば、明快さを追求して学術的な正確さを犠牲にしても、学者としての社会からの信頼に疑義は生じないだろうと考えたためでした。

ちなみに、今年は6冊執筆・出版予定なのですが、そのうちの1冊は『世界は経営でできている(仮)』(講談社現代新書)というタイトルの経営エッセイ集です。それも、学術的な正確さのためにいくつもの留保や但し書きを付けるよりも、明快で重要なメッセージを大切にして、各章のエッセイを経営についての明快なメッセージに対する比喩・エピソード・メタファーとして読み通せるような作りを意識しています。

高橋勅徳(東京都立大学):
『大学准教授がマッチングアプリに…』は、実は企画段階で悪ノリしてこの形式になったんですよ。岩尾先生の『13歳からの経営の教科書』をみて、負けてられんなと(笑)。
ただ、プロの方に監修してもらうという考えそのものはなかったので、全部自分で書きました。

あとは、『婚活戦略』の出版から学んだこととして、小説形式にして、自分自身をキャラクターとして使うことで、読者が自分ごとのように読める仕掛けになるなという気づきがあったんです。それを応用する形で作ったのと、集英社のwebサイトでの連載「そこそこ起業」の担当者が文学畑だったもので、1年間その担当者に鍛えてもらいまして。「キャラを立てて!」と何度も言われ、論理的な構造をキャラに託して語らせるという形を掴んだ連載での経験が、アプリ本では効いたと思います。その結果、今流行りの「Twitter文学」の形式に近い仕上がりになりましたね。

研究書じゃない形式だからこそ伝わることってあると思うし、逆に言うと、言葉の部分での正確さには欠けるかもしれないけれど、ロジックの部分では正確性を保つことができるんじゃないかなと考えるようになりました。一度振り切って小説形式を試してみたら書けちゃうってこともあるんじゃないかと思うので、その経験は、皆さんもどこかでやってみてもよいのかなと。

増幅する「意図せざる読解」による発見

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
学術書もそうですし、商業出版はよりその傾向が強いですが、「作者が当初は意図していなかったような読解の仕方が増幅していく」ことが面白いなと思っています。ここでは読者による読解こそが正しいという意味で、「誤読」という単語はなるべく使わず、「意図せざる読解」と表現するようにします。これについては、2022年の組織学会で「学術書籍出版への道:書籍出版をめぐる3段階の意図せざる読解連鎖」というテーマで発表したこともあります。先ほどの高橋先生のお話ともつながると思うので、これについて少しお話しします。

意図せざる読解の可能性が高い書籍という発表形態とは対極にあるものとして、国際学術誌があります。国際学術誌は、誰が執筆者かわからないように書き方のクセを無くし、学術的な正確さを追求して、誤読を極力なくすために多数の補足をおこないます。

さらにいえば、国際学術誌では、投稿する前にある程度は人間関係を作っておいて、査読者や編集者を予想するというのが1つのコツのような側面があります。つまり、「あの人が査読担当だろうから、あの議論を踏まえて、こう論理展開すれば、あの人の好みだろうな」という具合に。いわば、編集者・査読者のプライドをくすぐるというゲームとしての側面があるように思います。そこでは、相手の読みたいように、読みやすいように書かなければいけませんから、誤読を減らすことがますます重要になるわけです。誤読されることは一発リジェクトのリスクにしかならないわけですね。
一応言っておきますが、私はゲーム的な学術論文出版競争には反対ですが、ただの事実として述べたまでです。

それに対して、商業出版の場合は、3段階の意図せざる読解の連鎖が生じ、むしろそれこそが書籍の面白さを増幅してくれます。
まず、第1段階として、出版社に企画を持ち込んだときに50%程度しか理解してもらえないことが普通ですし、それでも信頼関係があれば意外と出版してもらえたりします。そこでまず意図せざる読解が起こります。
第2段階として、書店が作者からすると意図していなかったような棚に本を配架してくださることがあり、これによって思いもよらぬ読者との出会いが起こります。
さらに第3段階として、読者の方が、作者の思いもよらぬような読解をされたりします。出版社→書店→読者という意図せざる読解の連鎖が起こるたびに、書籍が持つ可能性の幅が拡がっていきます。

タイトルも意図せざる読解の影響で変化します。たとえば『13歳からの経営の教科書』は、当初案では『みんなの放課後株式会社』というタイトルで、ライトノベルコーナーを狙っていました。しかし、出版社が最終的にはタイトルを決めますので、もうこの時点で自分ではどうにもコントロールできなくなっているわけです。

そしていざ出版されたら、書店に並ぶわけですが、自分が想定していた棚とは違うところに並びます。『イノベーションを生む“改善”』だと、今でも経営学ではなくて工業・工学の棚に置かれています。『13歳からの経営の教科書』なんか、教育書や児童書コーナーに置いてほしかったのに、経営学でさえない「自己啓発本」コーナーに置かれたりしています。

もちろん書店では「プロの書店員からみて、お客さんに刺さる」と思われるところに並べてあるので、工業の棚を見にきたお客さんに『イノベーションを生む“改善”』が刺さったり、『13歳からの経営の教科書』が実際に自己啓発本として購入されたりするわけです。その結果、「『13歳からの経営の教科書』から勇気をもらいました」とか「泣きました」「日本を変えましょう」みたいな感想メールを読者の方からいただいりするわけですね。こうして、それぞれの書籍の本当の力を再発見したりします。

このように、作者が当初意図していなかった読解が増幅していくプロセスで、意外な発見があったりするのは、面白いと感じています。

高橋勅徳(東京都立大学):
僕の『婚活戦略』は、「全裸監督」関連書籍の隣に置かれましたよ(笑)。丸善丸の内本店のサブカルチャーの棚だったかな。他には業界研究や女性学の棚に置かれるのはわかりますけど、なぜかスピリチュアルの棚で平置きされていたこともありました。

タイトルについては、岩尾先生とは逆で、どちらもほぼ僕の案です。商業出版の編集者から執筆依頼の連絡がくる時って、大体ぼんやりとした企画の枠組みのみ提案されることが多いから、そこに乗っかって読者に誤解されることを許容したうえで、自分の考え(学術的裏付けのある理論)のベクトルに跳ね返る強度を構造的に持たせるというやり方をしました。だから編集者からすると内容も読者からの反応も想定外になることもあると思います。
普段、エンタメ本を読む層も、こちらが工夫すれば学術的な内容だってちゃんと読めてしまうし、そこで引っかかってくれた読者の反応から、マスコミが注目してあらぬ方向にひろがっていきますので、侮れないんですよね。

清水剛(東京大学):
ここで質問があるみたいです。

研究者が求める「正確性」と読者のリテラシー

舟津昌平(京都産業大学):
先ほど岩尾さんが、「正確さ」と「明快さ」の話をしてくれたので、そこに関連して。
僕の発表で引用したファインマンの原文では、正確さは"precise"、明快さは"clear"となっています。これはそもそも学術用語ではないので、何を正確と見るのか明快と見るのかは、もちろん場合によるんですよね。両立ができれば、それだけで素晴らしい文献だと言われると思いますし、たとえば高尾義明先生・森永雄太先生の『ジョブ・クラフティング』(白桃書房)はその一例だと思います。

そのうえで、この会場の外に貼ってあったチラシの話をしたいのですが、4月28日に京都大学で堀江貴文さんが、M&A仲介の第一人者である佐山展生さん(インテグラル㈱取締役、京都大学経営管理大学院客員教授)の担当講義の一環として、講演されるそうです。別の回では、一橋大学ビジネススクールの楠木建先生も登壇する。この3人をつなぐものが何か、どなたかご存知ですか?

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
Twitterでのやりとりがあった記憶がありますね。堀江さんが佐山先生や楠木先生に対して「経営実務を知らないくせに」って批判なされたんでしたかね。

舟津昌平(京都産業大学):
そうです。発端は、堀江さんが、「コンビニのイートインスペースで居酒屋みたいなことをしたらよいビジネスモデルになると思う」という記事を書いたら、それが掲載されたウェブメディアのコメント欄で、楠木先生が、「(そんなものは)ビジネスモデルじゃないだろう」とコメントしたんですよね。佐山さんも否定的なコメントをして、それらを受けて堀江さんが、「商売の経験もない頭でっかちの教授はこういう事平気で言うんだね」と返した。ただ結果的に3人は和解されて、だからこそ座談会や講義が開かれるわけで。
話を戻すと、この一連のやり取りは、正確さと明快さのグレーゾーンの例として挙げられると思っています。

つまり、堀江さんの「ビジネスモデル」という言葉に対して、楠木先生は「学術的に見てそれは正確な言葉遣いではない」と返したと私は解釈しています。それは、査読コメントとしては適切だったかもしれないけれど、おそらくアカデミアの世界でなければ通用しないし、実際に堀江さんは非常に否定的な反応をされた。そう考えると、われわれが求める正確性というのは、一般社会と乖離しているんだろうなと思うんです。よい悪いは別の問題として、事実としてすごく乖離している。
読者が一定のリテラシーを持って、筆者が意図しているように読んでくれるとは限らないんですよね。

高橋先生が先ほどおっしゃっていたように、学術書籍から一般向け書籍になる過程で、読者のリテラシーを想像せず、誤解を恐れずに委ねてしまったうえで書けるギリギリのラインがあるのかなと想像したのですが、その辺りはどのようにお考えですか。

高橋勅徳(東京都立大学):
制度論の立場で答えると、「制度論」についてわかりやすく書くことで、誤読されながらもいろんな人に語られていくことが、制度論という理論が社会に受け入れられていく現象そのものなのかなと思います。
たとえば組織文化という概念は、ビジネスパーソンの日常用語として学術的な意味とは全く異なる形で使われていますよね。本来なかったはずの概念が対話や誤読が重ねられるなかで社会に浸透していく。それに対してわれわれが「それ間違ってるから!」って言い続けることは、研究者として正しい姿かもしれないけれど、現実的には「しゃあないんちゃう」って私自身は思い始めています。
そう思った1つに「婚活」という言葉があって。「婚活」って元々は少子化対策のために作られた概念だけれど、今ではそれに限らない。そういう事象に対して、ふざけんなよと言うんじゃなくて、研究者という立場から、成立してしまった理論発の現象と向き合いつつ、社会とコミュニケーションを図っていく必要があると考え始めています。
そうすると、研究者と社会とのコミュニケーションにおいて、その入り口になるものが本だから、書き方や文体で大きく広がり方が変わってくるんですよね。

岩尾先生の『日本“式”経営の逆襲』も、たとえば「逆襲」って言葉も、伝わっていくうちに、あらぬ形で読まれて違う形で跳ね返って、それで現象になっていく。それを研究者としてどうコントロールするのか、その点で私は岩尾先生のTwitterでの言動に関心を持っています。

舟津昌平(京都産業大学):
岩尾先生、正確じゃないという批判を受けたことはありますか。

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
『13歳からの経営の教科書』に関しては今のところありませんが、『日本“式”経営の逆襲』に対しては、そうしたコメントが山ほどきます。本書のなかで、「オライリーとタッシュマンが、両利きの経営についての2013年の総括論文で、両利きの最もわかりやすい例としてカイゼンを挙げている」と書いたら、「カイゼンから両利きの経営が始まったんだ」と読まれちゃって、そのうえでめちゃくちゃな反論が来たことがあります。

また、論旨を誤解されたうえで非公式に翻訳され、海外から見当違いな批判メールがきた例もありました。それに対しては、きちんと説明して解決しましたが。それらのほかにも、意図せざる読解に基づいた批判はありました。この点について少し遠回りしますが、説明させていただきます。

実は、『イノベーションを生む“改善”』『日本“式”経営の逆襲』『13歳からの経営の教科書』は、全部同じテーマを追求しています。最初の『イノベーションを生む“改善”』は、在庫の滞留を改善してイノベーションに繋げる優れた組織構造の話をしていました。その先に、お金やモノだけではなくアイデアも滞留するという話を『日本“式”経営の逆襲』でおこないました。

これが日本式経営の本質的なところだと思うのですが、ジャパン・アズ・ナンバーワン時代にうまくいっていた会社は、アイデアと資源を変な場所に別々に滞留させないようにしていたわけです。同じ会社のなかで、「わが社はお金はあるけどアイデアがない」と言う人と「わが社はアイデアはあるけどお金がない」と言う反対な人がいることが頻繁にみられますが、そういう会社は、本来あるべきところとは別のところにそれら別種の資源が留まってしまっているんです。だから、資源とアイデアが出会わない状態になっていて、その結果、イノベーションが起きないのだといえます。

『13歳からの経営の教科書』は、さらに踏み込んで、この状態を具体的に解決して日本の経営の強みを取り戻すための本を目指しました。すなわち、資源とアイデアの滞留を引き起こす現代日本の本当の問題は、「経営意識」や「経営知識」の社会のなかでの滞留、つまり日本のなかのほんの一部の人しか経営知識と経営意識を持っていないことにあるのだと考え、この状況を打破・解決するための教育書を目指しました。そのために、誰でも読めて、経営を自分事として体感しつつ学べる物語兼教科書を書いたわけです。

これによって、経営者一族だったり、MBA教育を受けたりした一部の人だけが経営知識・経営意識を独占していて、そうじゃない人たちにブラック労働を強いるという独裁的経営体制、言ってしまえば「極端なアメリカ式経営」を打破したいと考えました。経営知識の滞留を社会のなかで意図的につくると、一部の人たちにとっては、楽にお金を稼げる状況が出来ます。しかし、社会全体でみると、それでは困窮する人が多数になってしまいます。だからこそ、みんなが豊かになるには、経営知識や経営意識を滞留させず、公共財としてみんなが保持することが必要なんです。

このことを「経営教育の民主化」と呼んで、私はその重要性を説いているんですけれど、そのあたりを読んで「いや、先生。むしろ、紙で管理したり無駄に人を拘束したり、そういうのを改善しないと…」とおっしゃる人が出てきます。
私としては「まさにそう言ってるんだけどなあ」となります。「人を拘束して管理すること=経営」と主張しているわけではなく、むしろ全く逆の「金中心の名ばかり管理は全部なくして、人中心の経営に戻せ」という主張をしているのですが、それが伝わらず批判を受けることはありますね。
あとは「13歳から金儲けを教えてよいのか」とかですね。

研究者が「読みやすい」本を書くためのテクニック

清水剛(東京大学):
なるほど。面白いなと思いながら聞いていました。
本の作り方には、大きく分けて2つありますよね。1つは多くの人に届けるために読みやすさを考えて表現するという方法。一方で、学術書は、それとは全く逆かもしれない。
ここでわれわれが考えるべきだと思うのは、この2つの"中間"はあるのかということです。これらは全く違うものなのか、連続体なのか。連続体だとしたら、中間はどこに位置するのか。
全員が、一般向けに書くべきかというと、そうではないですよね。高橋さんや岩尾さんのように、才能がある方もいれば、そうでない人ももちろんいる。

ここで参加者からの質問を取り上げたいのですが、一般向けの本が書けない学者はどうすればよいと思われますか。

高橋勅徳(東京都立大学):
先ほど言ったように、研究書や研究論文って、一般に発行が1,000部くらいで、そのうちの半分は教科書として売られているから、自分の受講生以外の方が、自ら読もうとして買って、実際に読まれているのか疑わしい、という悲しい現実があります。
同時に、学術書が学術書として売れる方法も絶対にあると思っているし、経営書が学術書に大きくにじり寄って染まっていくことも期待できます。たとえば、トマ・ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房)は、内容は難しいはずですが、その年のベストセラーでしたよね。

SNSやYouTubeのようなプラットフォームがあることで、誰もがいろんな情報をいろんな形で得ることができるようになった今、論文を読むことのハードルも高くないようです。

Twitterで僕の投稿がバズった時に知ったのですが、大学の紀要に掲載されている論文を読んで批評するコミュニティが、それを娯楽的に楽しむものとして、アカデミアの外に形成されているんです。各大学の紀要で掲載されている、トンデモ論文を見つけて報告しあったり、ちゃんと原典まで遡ってその論文の議論の良し悪しを、一般の方が掲示板で議論していたりします。
そういう現象を見ていると、実は学者側が読者の知的水準を低く見積もりすぎているのではないかと思うようになりました。読者の知的水準とか、書店の数や流通網を考えると、日本の出版業界はかなり恵まれているのに、学者側がそれを信じられず、有効に活用しきれていないのではないかと。

ただ、集英社で文学を担当している編集者と連載の仕事を経験して思ったのは、「おじさん構文」ならぬ「アカデミック構文」については、立ち止まって考える必要があるなということです。「アカデミック構文」や「霞が関文学」といわれているような、その組織の成員として染みついている独特な書きぶりを当たり前に用いているために、外部の人間には全く内容が伝わっていないのではないかという問題意識があります。

先ほどの、「正確さ」と「明快さ」の話に通じることで、正確性を意識して関係者以外に誰にも伝わらない文章を書いてしまっては、本末転倒です。『21世紀の資本』を例にすると、僕らはそこに書かれている内容を、目次やパラグラフの構成、統計の図表を見ただけである程度理解できてしまう一方で、今僕たちが書いている学術書を講義で使うとき、学生は理解して読めているのかという疑問が湧いてきます。「伝える」ための文体やテクニカルな部分について、われわれはちょっと考え直すべきかもしれません。

そういう観点から、ラノベ調で書籍を出した岩尾先生にも話を聞いてみたいです。

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
1つ伺いたいのが、「テクニカルな部分」っていうのは、たとえば、文学の世界にも純文学と大衆文学それぞれに書き方のテクニックがあるよね、というのと同じことですか。

高橋勅徳(東京都立大学):
うん、そういう意味です。ジャンルによって、それぞれの書き方がありますが、わかりやすさに焦点を当てて考えると、残念ながら、アカデミックの書き方は、メディアとしての伝わりやすさの面で劣っている可能性が十分にあると考えています。

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
なるほどです。私はもともと文学サークルに所属していたので、学術書らしくない書き方にも抵抗がありませんでした。その上で、一度執筆したものを適宜プロのラノベ作家の方に修正してもらうという進め方で本を出しました。

「全員が一般向けに書くべきか」という問いに対しては、自分一人が無理やり頑張る必要はないと思うので、アニメならアニメを作れる人に、小説なら小説を書ける人にやってもらうという手もあると思いますね。経営学者と経営コンサルタントとライター・作家がトリオを組むなどという形ですね。あとは、答えになっているかわかりませんが、『日経ビジネス』『Wedge』などの経済雑誌に寄稿すると、プロの編集者からフィードバックを得られて、わかりやすい文章の書き方の勉強になりましたね。

結局、学術書、論文、評論、小説まで、書き方の形はグラデーションになっているわけですから、自分でどのような形式にするか、自身のキャリアマネジメントも含めて決めていくのが一般的にはよいかなと思います。
若手のうちから小説ばかり書いていて、周りから「研究する気がないのでは」と思われるのは、たとえばキャリアを気にする人にとっては得策ではないでしょう(笑)。そういう観点で、人生経営的に、各自で目標を定めたらよいと思います。

清水剛(東京大学):
高橋先生がおっしゃったように、学術書の形式を崩さずに、表現の仕方によって伝わりやすさを調整することはできますね。そして読者をもう少し広げることはできるかもしれない。
あるいは、岩尾先生の言うように、たしかにグラデーションがあって、どこにポイントを置くのか、それは個人の考えによるところだと思います。

さて参加者から「論文だけではなくて本を書くことの意義」についてコメントがありました。
論文と本の大きな違いの1つとして、編集者がついているかどうかという点があり、表現に関しては編集者のコメントも大きく影響するでしょう。
さて、本座談会は多くの編集者の方も見ているということですので、編集者の役割についてもお話お聞かせください。

高橋勅徳(東京都立大学):
まず、『婚活戦略』は「中央経済社さん、よく出してくれたな」という感想です。実は最初の原稿は、もっとブラックな内容だったんです。初稿をある先生に読んでいただいたところ、「先生の女性嫌いとか、悪いところが全面的に出ていて、辛くて読めない」と絶句されたほどで(笑)。
そのようなわけで、本にするにあたって、編集者の方から誤解を生むような表現をどう変えていくのかについて提案をいただき、いろいろ調整しました。どう作ろうとも暗い話になるテーマではあるなかで、見せ方を工夫してくれた編集者には感謝しています。

『大学准教授がマッチングアプリに…』では、クロスメディア・パブリッシングさんが、キャラのバランスを調整してくれたなと思っています。私自身が暴走すると、どんどんブラックな内容になってしまいますので。
商業出版では、理論的な正確さに加えて、売れるためにどうするのかという視点が必要になります。僕のキャラがあまりにも突拍子のないものだと読み手が共感できませんから、爽やかかつ面白いように魅せる提案をいろいろといただきました。出版社にも傾向や得意なジャンルがあるので、ジャンルの異なる複数の編集者と付き合って、自分の出したい本をその傾向にあった出版社と進めるのがよいと思います。

また、重要なこととして、出版社は著者を守ってくれます。たとえば炎上した場合や何かトラブルがあったときにも、論文であれば自分ひとりで対応する必要がありますが、書籍なら出版社も一緒に対処してくれます。
今連載中の「そこそこ起業」は、もともと「ゆる起業」というタイトルだったんですね。「ゆる起業」というのは10年前くらいから、「次の研究プロジェクトはこれにする」とあちこちで話していて満を持したタイトルだったのですが、某社が商標登録をしていまして、クレームが付いたんです。
その連絡をいただいたときには、すごく慌てたのですが、担当編集者が会社の法務部門と共同で対処してくれて、タイトル変更で丸く収めてくれました。論文の場合だと、こういう事があった場合、すべて自分が解決する必要があると気づいて、背筋が凍りましたね。

他には、査読付き書籍の話題がテーマ1の座談会で上がっていましたが、それが実現するとしても、出版社を介して出版することがリスクヘッジにつながるのではないかな。
あとは、出版社の校正はありがたいですよね。優秀な校正担当の方に当たったときは、自分では気づかないミスまで指摘してもらえるので、非常に助かっています。

読者や周囲の反応 

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
「本を書くことの意義」についての話をしたいのですが、家族の反応、友人の反応、学会での反応、学内の同僚の反応はそれぞれどうでしたか。

高橋勅徳(東京都立大学):
今はサバティカル(研究専念期間)中だからか、学内から聞こえてきた反応は、売れてるね、くらいです(笑)。
2022年10月の日本経済学会で若手研究支援のセッションでの報告を依頼されて、「大学教員の婚活戦略」という題目で報告しましたが、Zoomから参加していた4〜5人の経済学系の同僚からは「すごく刺激的で、面白かった」と言ってもらえて、肩の荷がおりたような気持ちでした。
ただその後に『大学教授がマッチングアプリに…』を出したので、それに関してはもうサバティカル明けに怒られても別にいいやという心持ちでいます(笑)。

身内という点で言うと、母親には見せていません。父親はすでに他界しているので、毎年のお正月には、本が出ると仏壇にお供えしているんですね。『婚活戦略』と『大学教授がマッチングアプリに…』に関しては、やりませんでした。70歳過ぎている母親を泣かせるわけにはいかないと思って(笑)。そんな気も知らない母親から、今年の正月に「婚活の本、読んでみたい」って言われたんですよ。その年代にも届くようなメディアになったのかと感慨深かったです。「棺桶に入れるからそれまで待ってて」と言っておきましたが(笑)。
20歳を過ぎた甥っ子と姪っ子には、「俺みたいになるなよ」っていう思いで、渡そうかなと思っています。

舟津昌平(京都産業大学):
短い質問なんですが、本には「面白い本」と「役に立つ本」の2つの大きな括りがあると思いますが、 高橋先生の本に対して「役に立った」という反響はありましたか。

高橋勅徳(東京都立大学):
そこにいる松嶋先生(神戸大学)からは「世界で最も信頼ならん婚活本」と言われましたよ(笑)。
それはさておき、予想していなかった反応としては、女性から、「交際前でも、付き合ってる期間でも、婚活している時でも、男性側が何を考えているかわからないけど、これを読んだらわかる」という感想があったことです。「僕に限った話かもしれないよ」とは思いましたが、学生の反応を見ても、女性のほうが真剣に読んでくれているように感じました。
どういう読まれ方をするのかは、読者に委ねるところですね。ただ時には、著者としての責任をもって、岩尾先生のようにきちんと反論しなくてはならない場面も出てくるのだろうと思っています。

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
それで言うと、『日本“式”経営の逆襲』は、「役に立たない」と叩かれがちなんですよ。
一方で、『13歳からの経営の教科書』は、たとえば飲食店経営者の方が従業員研修の教材として使ってくださっているそうです。基礎知識や事前知識にかかわらず、経営マインドや経営知識を社内で広く持ってほしいときに、教材として活用しやすいという声をいただいています。
また、中学・高校での教材として使われている例もあります。ある学校は、全クラスの学級文庫に入れてくれて。たくさんの読書感想文をいただきました。こういった状況にとても感動して、全国の学校に無料で配る取組みも少しずつ始めました。経営マインドを広めるために、誰でも読める状態にしたいと思っています。 

清水剛(東京大学):
ありがとうございます。ここからは、質疑応答の時間にしようと思います。何か質問がありましたら、お知らせください。

なんのために学術書とは異なる本を出すのか

會澤裕貴(東京都立大学大学院博士前期課程) :
学者としての業績にならない以上、学術書ではない本を出版する意味は学者としてはあまりないと思うのですが、それでも学術書ではない本を出版するのは何のためでしょうか。
ある目的を達成するために学術書ではない形式を選ぶ必要があったのか、それとも、目的ではなく結果としてそうなっていったのでしょうか。
前者の場合、研究のための時間を削ってでも出版される目的についても、ぜひお聞かせください。

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
社会にとっても、自分にとっても、「幸せのためには、世のなかにもっと経営意識と経営知識が広がる必要がある」と思っているからです。

たとえば、卑近な例ですが、研究費の申請に関し、やたらと書類が増えたり、細かな修正申告が必要になったりで事務手続きが煩雑かつ面倒になっている現実に多くの研究者は疲弊しています。この面倒さは、資金提供側が、金を大事にして人を蔑ろにし、本来の目的を見失っているために生じている面倒さなんですよね。
究極の目的は社会にとって有意義な研究成果を出す事のはずが、プロセス管理をすること自体が目的になっているわけで、まさに経営を忘れた名ばかり管理です。
これだと、そのうち研究能力はないけれどムダな書類を作るのは得意という人にばかり研究費が流れ、論文も特許も出ずに誰も見ない報告書類の山が成果として出てくるという喜劇を演じますよ。これが社会が貧しくなるという悲劇をもたらします。
そういった名ばかり管理を経営だと勘違いするなということです。

これは一例にすぎませんが、日本の多くの問題は、経営意識の欠如から説明できると思います。経営意識・経営知識の社会的欠如がもたらしている類似の問題は山ほどあります。
これらも、社会のなかに経営意識と経営知識が浸透すれば解決に向かうのではないかなと考えています。だからこそ、経営意識を広げる活動を続けていきたいと思っています。

高橋勅徳(東京都立大学):
僕は、まず、稼ぎたいから(笑)。ちょこっとでも印税が入って来るのが嬉しいのはもちろんありますが、そもそも本が売れるということは、読まれて、語られて現象になるということなので、どれくらい稼げているかは、私が研究者として社会に介入する力がどれくらいあるのかを確かめる1つの指標としてこだわりたいと。
なので『婚活戦略』を書いたときは、売れるコンテンツとして学術書を書く、というノルマを自分に課していました。半年で六刷までたどり着いて、商業連載や出版の機会をいただけるようになったのは、最低限のノルマはクリアできたのではと考えています。

あと、こういう学術と商業双方を行き来する経験そのものを、私はフィールドワークとして捉えています。運よく、『婚活戦略』が売れて、ある意味で面白キャラの先生とメディア各社から見られるようになって、商業出版からお声もかかるようになりました。
これは商業出版の世界をまたとないチャンスだし、著者の立場から売れる学術書を仕掛けていく貴重な機会を掴んだと思っています。
そのためにコンテンツ業界に入り込んで、「日本で一番モテない経営学者」のキャラで(笑)行けるところまで行って、その結果をオートエスノグラフィーとして発表して、研究として昇華させたいと考えていますですので、お付き合いのある編集者の方には、今やっていることはいずれ、『出版の経営学』みたいな学術書として出しますからね、と話しています。

僕自身は新聞を始めとしたメディアに顔を出し、私生活が丸裸にされるリスクはあると思っているけれど、それも研究だし、今はこの経験そのものが楽しいからできている活動ですね。

日本の経営学分野書籍の国際的な展開

渡邉文隆(信州大学):
日本の経営学の書籍の国際的な展開について伺いたいです。どの市場に出せば売れると思われますか。

岩尾俊兵(慶應義塾大学):
私にとっては、前述の通り。出版は日本での経営意識・経営知識の普及活動の手段にすぎません。そのため、売上は後から付いてくるもので、無理に追うものではないと思っています。

ただ、たとえば『13歳からの経営の教科書』は、韓国で翻訳版が出ることが決まっています。韓国・中国には日本語が堪能な方も多く、アメリカ式経営と日本式経営の両輪が必要だと思われていて、日本の経営について興味関心を持っている人が多くいるようです。北京大学には日本研究センターがあるくらいですから。反対にヨーロッパでは広まりにくいように感じています。

私は、名ばかり管理をなくして「人が大事」という考え方をもつことは経営成果にもつながると考えているので、むしろ、海外に気づかれないうちに経営知識と経営意識を日本でだけ普及させて、日本が豊かになってから、国際協力の一環として求められれば海外翻訳を出すくらいの気持ちでよいのではないかと思っています。

高橋勅徳(東京都立大学):
アメリカ人とイギリス人に、日本の婚活パーティーのことを話したら、「クレイジー」って反応がありました。日本と同様に婚活が盛んな韓国や、少子高齢化が問題になっている中国については、翻訳に挑戦してもよいのではないかなと考えています。
日本の婚活事情の面白さやクレイジーさを押し出せば、それ以外の国にも出せるのかなと思っています。

舟津昌平(京都産業大学):
特に岩尾さんに共有したい情報として、いま、ベトナムでは「日本式経営」がブランド化されていて、日本式経営塾が流行っているそうです。かつ、ベトナムナイズドされた独自の進化を遂げているようです。何が言いたいかというと、探せば読者はいるんだなと思って。『日本“式”経営の逆襲』をベトナム語で訳すと意外と多くの人に読まれるかもしれません。

研究者が「読んでもらえる」本を出すことの意義

清水剛(東京大学):
ありがとうございます。そろそろお時間になりそうです。

今日お二人の話を聞いて改めて思ったこととしては、まず、経営学の分野を学術書ではない形で本にすることに、大きな意味はあるなということです。そのことによって、経営学を社会に広げていくことができると。
ただ一方で、学術書も決して悪くないだろうとも思います。学術書をもう少し一般にも読みやすく、テクニックを用いて読み通せる本にするというのも一手であるということです。「読んでもらえる」ことを学術書の価値としてよいのか、というのはまた別の問題になりますが、「読んでもらえる学術書を書くこと」は、われわれにとっても社会にとっても意義のあることだと考えました。

最後に、本日ご参加いただいた皆様にお礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。

座談会を終えて

司会・清水剛氏より
座談会での話を振り返りながら、経営学って何なんだろう、ということを改めて考えていました。先に申し上げてしまうと、私自身は、経営学が「役に立つ」学問であるということを強調することにはあまり賛成ではありません。経営に関するさまざまな現象を論理的に考え、そこで起こっていることを解き明かしていくのが経営学という学問であり、そのなかにはビジネスの現場において役に立つものも役に立たないものもあるが、役に立たなくても現象を解き明かすことに成功していれば学問的には意味があるという風に考えているわけです。
 
これ自体が間違いだとは思わないのですが、しかし、座談会でのお二人のお話を聞いているうちに、そのような、ビジネスの現場には役に立たないかもしれないものも含め、広い意味での経営現象—そこにはカイゼンの話から感染症、そして婚活やマッチングアプリまでが含まれます―を解き明かすこと自体を面白がって読んでくれる、あるいはそこから何かをつかみ取ってくれる人々は意外に多いのかもしれない、と思うようになりました。言い換えれば、経営学というのはビジネスパーソンを対象に戦略や組織を語るだけのものではなく(もちろん、それはそれでちゃんと意味はあるのですが)、さまざまな人々が物事を考える際によすがというか、考える材料になるものではないか、ということです。
 
私自身、経営学というものをいわゆるアカデミアの外に広げようとする場合に、その対象はビジネスパーソンである、と無意識のうちに考えていたように思います。しかし、実際に経営学から何かをつかみ取ってくれるのは、もっと違う人々であるのかもしれません。経営学が人生にとっての教養である、などと言うとかえって怪しげに聞こえてしまうかもしれませんが、経営にかかわるさまざまな現象を考えることは、多くの人々にとってそれなりに意味があるかもしれない、と今は思っています。
 
ということで、出版社の皆様方、若手の経営学者達に執筆の機会を与えていただいたことに改めて感謝申し上げるとともに、上のような事情もありますので、出版事情の厳しい折ではありますがぜひ引き続き執筆のチャンスを(学術書からいわゆる教養書に至るまで)経営学者達にも与え続けていただければと思います。何卒宜しくお願い致します。(清水 剛)

運営・木川大輔氏より
まずは、この企画への登壇をお引き受けいただき、お忙しい合間を縫って京都までお越しいただいた3人の先生方に御礼を申し上げます。経営学研究者のコミュニティを越えてお名前が広く知れ渡った先生らによる対談ということもあって注目度が高く、平日にもかかわらず100人近くの参加者が集まりました。
 
僕がこのテーマセッションを企画する上で思ったことは、「経営学」という学問領域を、もっともっと、一般の方々(特にビジネスパーソン)に幅広く受け入れていただきたいということでした。その上で、このテーマセッションを通じて、各々が、僕ら同業者間の立ち位置を見直すきっかけになれば素晴らしいと思いました。
 
現時点で専任教員(研究者)の職にある方にはご理解いただけるとは思いますが、スマッシュヒットを出す(出せる)研究者だけが、研究者として世間に貢献しているというわけではないはずです。国内にあって、海外ジャーナルだけを目指す人、国内の主要学術誌を主戦場にしながら、コンスタントに研究書を出版する人、学内の紀要にコツコツ投稿する人、論文の投稿はそれほど多くはないが査読でガンガン貢献する人、他にも類型を挙げるとまだまだきりがありません。
 
このことを踏まえると、今回の対談は、参加(もしくは視聴)してくださった方々の全員にとって意味がある内容だと思います。なぜならば、高橋先生や岩尾先生と同じような作品を世に出そうと画策している後進にとってはもちろんのことではありますが、そうではなくとも、コツコツと研究成果を発信することが、直接的、あるいは間接的にでも世のなかにスマッシュヒットを送り出すことに繫がることを気づかせてくださったからです。
 
以上、僕からのコメントは、企画者の一人としての大きな視点からのコメントになってしまいました。もう一人の企画者の中園先生には、ぜひ対談の内容について言及いただければと思います(無茶振りすみません笑)。(木川大輔) 

運営・中園宏幸氏より
こちらのセッションは、経営学のアウトリーチをどのように考えたらよいか、そのヒントになればよいだろうと思って企画をしました。というのも、日本経済学会による経済学のアウトリーチイベントを観ているなかで、これはよくできていていいなと思ってしまったからです。
 
その一方で経営学のアウトリーチはなかなか進んでいない気がしていました。たとえば、オープンキャンパスにて高校生と会話をするときや、高校訪問にて教諭と会話をするなかで、「経営学は企業を経営してお金儲けにつなげる学問」だという理解が非常に多く語られました。もちろん、そのような側面があることは否定しませんが、経営学はそれだけではありません。本セッションに登壇された高橋先生的には「婚活あるいはマッチングアプリにまつわる諸々」も経営学の対象になりえるわけで、岩尾先生的には「人生そのもの」が経営学の対象になります。
 
このような経営学のおもしろさがもっと世に普及すると、やはりよいことがあると思うのです。ゼミ生から未だに聞いてしまう「怒鳴り散らす店長」の話など、そんなものは減った方がみなにとってよいはずです。そうしたとき、論文や研究書とは異なるカタチの書籍によって知識の普及を目指すのは、1つの大きな経路です。経営学知識の裾野が広がることによって、そのなかから数人でも研究書に手を伸ばす方が出てくると、より素敵だと思うのです。
 
どうしてそんなことを考えてしまうのか。それはやはり生存戦略の一環でしょう。学会からは「狭隘な研究対象に拘泥」していると言われたり、研究者からは「経営学の危機」だと言われたり、そうしていると、実務界からは「教育がなっていない」と言われ、国からは「文系は縮小」だと言われたり(ここでの各メッセージは多分に「誤読」が含まれていますが、「誤読」されながらも広がり一定程度受け入れられていると思います)。そして人口が減り大学そのものが減ってくるだろうと。若手研究者は、基本的に「よい時代」というものを知らないまま生涯を終えます。しかしながら、直面している環境を悲観していてもどうしようもないわけで、できることをやって環境に働きかけていくしかないと思うのです。これは戦略論の基本的な発想ですよね。
 
博士の学位を頂戴して、研究機関にテニュアとして採用していただく。そこに至るまでは、いってしまえば直線的な査読誌パブリケーションゲームです。ところが、テニュア以降は、多様性のあるポジショニングを取ることができます。もちろん、学術的誠実性が前提ですが。多様なポジショニングがあるのだと思えばこそ、「狭隘な研究対象に拘泥」してもいいし、「経営学の危機」の突破を試みてもいいし、「経営学の普及」に情熱を注いでもいいと思うのです。あれです、みんな違ってみんないい。その方がおもしろくないですか?このセッションを踏まえて改めてそう思うのです。
 
ただし、「誤読」に怯えるナカゾノとしては、基本はやはり研究者コミュニティであることを強調しておきたいです。研究をする。研究をする。研究をした上で、いろんなことをやっていく。そのいろんなことの1つがこのイベントだったのでしょう。(中園宏幸)


登壇者略歴

高橋勅徳(たかはし・みさのり)

2002年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。沖縄大学法経学部専任講師、滋賀大学経済学部准教授、首都大学東京大学院社会科学研究科准教授を経て現職。
専攻は企業家研究、ソーシャル・イノベーション論。第4回日本ベンチャー学会清成忠男賞本賞受賞。第17回日本NPO学会賞優秀賞受賞。
Twitter:https://twitter.com/misanori0818
researchmap:https://researchmap.jp/read0119630


岩尾俊兵(いわお・しゅんぺい)

2018年東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程修了。博士(経営学)。明治学院大学経済学部専任講師、東京大学大学院情報理工学系研究科客員研究員等を経て2022年より慶應義塾大学商学部准教授。第73回義塾賞、第37回組織学会高宮賞著書部門、第36回組織学会高宮賞論文部門、第22回日本生産管理学会賞理論書部門、第4回表現者賞等受賞。
Twitter:https://twitter.com/iwaoshumpei 
researchmap:https://researchmap.jp/iwaoshumpei

【司会/対談者】清水剛(しみず・たかし)

2000年東京大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。東京大学講師、准教授を経て現職。専門は経営学、経営史学、法と経済学。第16回組織学会高宮賞論文部門受賞。
Twitter:https://twitter.com/TakashiShimiz17
researchmap:https://researchmap.jp/takashipandashimizu

運 営

中園 宏幸(なかぞの・ひろゆき)
2015年同志社大学大学院商学研究科博士後期課程修了。博士(商学)。 同志社大学助教、広島修道大学助教を経て、2019年より広島修道大学商学部准教授。
専攻:イノベーション・マネジメント
Twitter:https://twitter.com/nakazonolab
researchmap:https://researchmap.jp/hnakazono

木川 大輔(きかわ・だいすけ)
2017年首都大学東京(現東京都立大学)大学院社会科学研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。東洋学園大学専任講師、同准教授を経て、2023年より明治学院大学経済学部国際経営学科准教授。専門は経営戦略論、イノベーション論。
Twitter:https://twitter.com/dicekk
researchmap:https://researchmap.jp/dicek-kik


編集後記(中央経済社編集者より)

まずは、本研究会の開催と運営にご尽力され、レポート記事の公開を快くご承諾くださった先生方に、厚く御礼を申し上げます。
中園先生のご厚意で、私たちからも感想を述べる機会をいただけましたので、出版社の立場から、研究会を拝聴して考えたことをお話しいたします。
 
本研究会の3つのセッションで交わされた議論には、私たち出版社にとって重要な内容が散りばめられていました。出版業界には喫緊の課題があることを、ひしひしと感じています。
本研究会の1年前に開催された、中園先生主催「若手研究者による著書出版のセッション」のご案内文に、次のような記述がありました。

十数年前の書籍の謝辞にも『出版事情の厳しいなか~』という記述がみられます。出版事情は変わらずに厳しく、さらに業績評価における書籍の位置づけがゆるやかに変化してきています。

中園先生のnote「「経営学研究における研究書出版の意義」のお話」もあわせてご覧ください。

出版事情の厳しさは十年以上も前から続いており、今なお変わらないばかりか、より厳しいものになっています。この十年余りの間、状況を好転させるために私たちは何をなせたか、改めて自らに問い直すべきだと思いました。
このまま何も手を打たなければ、研究者の先生方にとって書籍を出版することの意義が薄れていくことになってしまうのかもしれません。そういった事態を避けるためには、どうすべきなのか。本研究会では、この問いに対する解の1つを示していただいたのだと思います。
 
3つのセッションでは、「幅広い読者に届けるための工夫」という共通項がありました。
セッション12では、書き振りの工夫や学問分野を越えたテーマ設定で読者を広げたこと、セッション3では、学術書というジャンルにこだわらない形式の選択による成果が示されています。
 
まさにこの、「幅広い読者に届けるための工夫」を重ねていくことに、出版業界の一員として全力を尽くさなければならないと思いました。
言うまでもなく、アカデミアで生まれた専門性の高い知識を、本という媒体を通じて、広く世のなかに届けることが、学術書出版社の使命です。数あるメディアのなかから本を選んでもらうため、また、時間を割いて本を出版する意義があると思ってもらうために、読者と著者の双方に提供する価値をいかに高められるかが、問われているのだと考えます。
同時に、役割の本質は変わらずとも、時勢を読みながら、情報を届ける手段や表現のあり方について、検討していく必要もあるのでしょう。
 
本研究会のレポートを作成する過程では、先生方の議論やコメントから、出版業の意義について見つめなおすきっかけをいただいたとともに、多くを学ぶことができました。
また、本研究会でお名前のあがった出版社をはじめ、関係者のみなさまにも、貴重な機会をいただいたことに、この場を借りて感謝申し上げます。
今後も、出版物はもちろん、本Webマガジン等を通じて、出版の役割を私たちなりに模索していきたいと考えていますので、ご指導いただけますと幸いに存じます。
 
最後になりますが、ここまで読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました!(株式会社中央経済社 阪井あゆみ・美濃口真衣)

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