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ハーバード大学|【連載】Study Abroad Journal—留学体験記—(第5回)


はじめに

私は、ハーバード大学スクール・オブ・パブリックヘルス(以下「HSPH」といいます)の医療政策専攻の修士課程(MPH:Master of Public Health)に留学し、2023年5月に修了しました。留学前は6年半ほど企業法務に従事しており、特に労働法やヘルスケア、訴訟等のさまざまな案件に従事していました。パブリックヘルス自体聞き慣れない言葉だと思いますので、本稿を通じて少しでもパブリックヘルスやHSPHへの留学についてイメージを持っていただけるのであれば大変嬉しく思います。

パブリックヘルスとは何か

パブリックヘルスとは、日本で「公衆衛生」と訳されており、後者は法的な用語として、個人情報保護法のいわゆる公衆衛生例外(同法18条3項3号、20条2項3号、27条1項3号)等の規定に見受けられます。パブリックヘルスは、人々の集団の健康を守り、向上させるための科学であり、その目的は、健康的なライフスタイルの促進、病気や怪我の予防の研究、感染症の検出、予防、対応によって達成されるものであるとされています。人々の健康の予防・促進を科学する学問であるため、食品衛生や感染症予防だけではなく、労働安全衛生から気候変動、ジェンダー、銃規制など、健康に関連するさまざまな事項が対象に含まれます。

たとえば、気候変動によって山火事が多発し、それによって呼吸器系の疾患が増大する傾向が見受けられます。また、生物分布の変容によって熱帯地方に多くみられた感染症が、媒介生物の北上に伴ってより多くの地域に広がる可能性が警告されています。
このように、パブリックヘルスは、健康やヘルスケア、ウェルビーイングに対する関心が高まっている社会において、非常に身近な学問といえます。また、研究のベースには、統計学や疫学があることから、「ヘルスケア×データサイエンス」を学ぶ分野ともいえます。

パブリックヘルスにおいて、法制度や裁判所の判断は非常に大きな意味を持ちます。たとえば、アメリカの連邦最高裁判所が、中絶の権利に対する判例変更を行った事例では、判例変更から2カ月で、合法な中絶件数が約6%減少したとの報道がみられました。

日本と比較すると、アメリカでは、法曹界におけるパブリックヘルスへの関心の高さがうかがわれます。アメリカのスクール・オブ・パブリックヘルス(SPH:公衆衛生大学院)では、パブリックヘルスロー(公衆衛生法)の授業を開講しているところが多く、ロースクール(法科大学院)でも、SPHと共同してJ.D.(Juris Doctor)とMPHを同時に取得できる学位プログラムやパブリックヘルスローの科目を設けている学校が多数あります。私のHSPHにおける指導教官も、パブリックヘルスの研究者ですが、ロースクールも卒業しています。

以上のように、パブリックヘルスは現代において非常に重要な学問であるとともに、日本の法曹界でもその概念と有用性が認知されるべき分野であると考えています。

HSPHの留学経験

HSPHのメイン校舎

HSPHの専攻や授業の内容は実に多彩です。専攻は、疫学や定量分析といった理系的な専攻もあれば、医療経営や医療政策といった文系的な専攻もあります。そのため、同じHSPHに所属しているといっても、専攻によって学生の学ぶ内容はかなり異なります。

また、たとえ同じ専攻であっても学んでいる内容は学生によってさまざまです。私は、医療政策以外にも、パブリックヘルスの学問としての幅広さを学ぶために、「女性・ジェンダーと健康:メンタルヘルス」「HIVへの介入方法」「公衆へのスピーチ」といった、さまざまなジャンルの科目を履修していました。他の生徒は、私のように広い範囲の授業を履修する人もいれば、医療政策の各国比較の授業や医療経済を学ぶ授業等を受講して、医療政策をより深く学ぼうとする人もいます。

また、他のハーバードの大学院(ロースクールやビジネススクールなど)やMITなどの授業も受講できるため、自身の興味・バックグラウンドに合わせてさまざまな履修計画を組むことができます。私も、ロースクールやMITの授業に参加しましたし、HPSHの授業にもさまざまな大学院から受講生が来ており、受講生同士のディスカッションはとても刺激になります。

授業の形式はさまざまですが、私の専攻は、予習を前提としたうえでの講義やディスカッションを行うスタイルが多いです。医療政策については、オバマケア制定の際に政権の中枢にいた方や、FDAの諮問委員会メンバーを務めた方など、医事・薬事関連の政策に関する著名な講師陣から非常に密度の濃い授業を受けることができます。基本的にはアメリカのヘルスケアに関する事例や研究を学ぶことが多いですが、たとえばHIV予防・治療に対するアフリカの事例等、国際的に展開されているプロジェクト等を取り扱うこともあり、日本の国民健康保険制度や医薬品規制、ジェンダー問題等を他国と対比しながら客観的に捉えることができるため、留学してパブリックヘルスを学ぶ意義は大きいと考えています。

授業の様子

また、授業以外にも毎週のようにセミナーや交流会等のイベントがあります。セミナーは、最新の米国の医療政策の動向など、パブリックヘルスをテーマとした魅力的なものが多々開催されていますが、それ以外にも企業の説明会や就活向けのレジュメの作成講座といったイベントまで用意されています。交流会は、学内のものもあれば、ハーバード大学全学にわたるものもあり、うまく活用することで幅広いバックグラウンドの学生とのネットワークを構築できます。こうしたイベントの数・種類には事欠くことが無く、むしろやることを絞るのに苦心するほどです。

HSPHには、毎年修士・博士をあわせて1000人ほどが入学しますが、学生はアメリカ人が多く、留学生割合は約4割です。日本人は約10~15人で、ほぼ全員が官公庁からの派遣生(医系技官を含む)または医師です。自分とは異なるバックグラウンドであるため、日々の交流の中でも新たな気づきとなることが多く、HSPH留学の醍醐味の1つでもあります。

また、ボストンはヘルスケア産業やスタートアップのメッカともいうべき場所であるため、ヘルスケアに関心のある方には絶好の環境です。大学・病院・企業へと研究目的で留学している方が多いためか、研究者同士の交流会や勉強会も盛んにおこなわれています。この中で、ヘルスケアを共通の関心としたネットワークが広がることは非常に魅力的です。

ボストンは治安が良く、ほどよい日本人コミュニティや日本食スーパーもあるため、住環境としても良好だと思います。難点といえば、他のアメリカの都市と比較すると物価が高いことと、冬の寒さが厳しいことでしょうか(今年の冬はかなり暖かかったようですが、それでも気温がマイナス20度付近まで下がったことがありました)。

おわりに

HSPH修了後はスタンフォード大学のロースクール(LLMプログラム)に進学予定であり、パブリックヘルスと法に関する研究を進めていく予定です。帰国後は、留学経験を自身の業務に活かすのはもちろん、パブリックヘルスの概念を広めていきたいと考えています。
もし私の留学やパブリックヘルスに興味のある方がいらっしゃれば、LinkedIn(https://www.linkedin.com/in/kenta-minamitani-jd-mph-793a55237/)経由でお気軽にご連絡ください。

著者略歴

南谷健太(みなみたに・けんた)Minamitani Kenta
森・濱田松本法律事務所 弁護士、公衆衛生学修士。東京大学経済学部経済学科卒業、慶応義塾大学法科大学院修了、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。2023年秋より、スタンフォード大学ロースクール留学。著書に『労働事件ハンドブック改訂版』(共著、労働開発研究会、2023)、『ヘルステックの法務Q&A[第2版]』(共著、商事法務、2022)等多数。2022年及び2023年に人事労務分野でThe Best Lawyers in Japan: Ones to Watchを受賞。


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 本記事は、月刊誌『ビジネス法務』掲載記事を一部修正したものです。
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